(1 Samuel 2:12-17,22-25,30-34;4:1-11) The Judgment of Wicked Priests

サムエル記は、民族イスラエルの指導者たちの一連の栄枯盛衰を中心に構成されており、神が主権的に部族主導の国家を王が率いる国家に作り変えていく。今日の物語では、エリの祭司職がヤハウェを知らないために、神殿の前で神に対して大きな残虐行為を行ったことが描かれています。イスラエルの祭司職の問題は、単に個人的な問題ではなく、国家的な問題でもあったのです。イスラエルもヤハウェをよく分かっていなかった。祭司たちがヤハウェを知り、御言葉に従って敬うことを拒んだので、主はエリ祭司団と、彼らとともにイスラエルに裁きをもたらされたのです。

1. ヤハウェの犠牲、名誉、崇拝者が、悪しき祭司たちによって軽んじられた(1サム2:12-17,22-25)。

12 さて、 エリ の 息子 たち は 010 よこしま な 者 たち で、 主 を 知ら なかっ た。 13 民 に 関わる 祭司 の 定め について も そう で あっ た。 だれ かが、 いけ に え を 献 げ て いる と、 まだ 肉 を 煮 て いる 間 に、 祭司 の 子弟 が 三又 の 肉 刺し を 手 に し て やっ て 来 て、 14 これ を 大 鍋 や、 釜、 大釜、 鍋 に 突き 入れ、 肉 刺し で 取り上げ た もの を みな、 祭司 が 自分 の もの として 取っ て い た。 この よう な こと が、 シロ で、 そこ に 来る イスラエル の すべて の 人 に対して なさ れ て い た。 15 そのうえ、 脂肪 が 焼か れる 前 に 祭司 の 子弟 が やって来 て、 いけ に え を 献 げ る 人 に「 祭司 に 焼く ため の 肉 を 渡し なさい。 祭司 は 煮 た 肉 を あなた から 受け取ら ない。 生 の 肉 だけ だ」 と 言う ので、 16 人 が「 まず 脂肪 を すっかり 焼い て、 好き なだけ お 取り ください」 と 言う と、 祭司 の 子弟 は、「 いや、 今 渡す の だ。 で なけれ ば、 私 は 力ずく で 取る」 と 言っ た。 17 この よう に、 子弟 たち の 罪 は、 主 の 前 で 非常 に 大きかっ た。 この 人 たち は 主 への ささげ 物 を 侮っ た ので ある。 […] 21 主 は ハンナ を 顧み、 彼女 は 身ごもっ て、 三人 の 息子 と 二人 の 娘 を 産ん だ。 少年 サムエル は 主 のみ もと で 成長 し た。   22 さて、 エリ は たいへん 年 を とっ て い た が、 息子 たち が イスラエル 全体 に 行っ て いる こと の 一部始終 を、 それに 彼ら が 会見 の 天幕 の 入り口 で 仕え て いる 女 たち と 寝 て いる こと を 聞い て い た。 23 それで エリ は 彼ら に 言っ た。「 なぜ、 おまえ たち は そんな こと を する のか。 私 は この 民 の 皆 から、 おまえ たち の し た 悪い こと について 聞い て いる の だ。 24 息子 たち よ、 そういう こと を し ては いけ ない。 私 は 主 の 民 が 言いふらし て いる うわさ を 聞く が、 それ は 良い もの では ない。 25 人 が 人 に対して 罪 を 犯す なら、 神 が その 仲裁 を し て くださる。 だが、 主 に対して 人 が 罪 を 犯す なら、 だれ が その 人 の ため に 仲裁 に 立つ だろ う か。」 しかし、 彼ら は 父 の 言う こと を 聞こ う と し なかっ た。 彼ら を 殺す こと が 主 のみ こころ だっ た からで ある。

ハンナは一夫多妻制の妻として過酷な扱いを受け、ヤハウェに助けを求めてシロの神殿に来たにもかかわらず、祭司エリから無価値と言われたことがあった。しかし、ハンナとは対照的に、祭司エリの息子たちは、ヤハウェを知らないので、無価値であった。彼らがヤハウェを知らないことは、シロの神殿での祭司とその使用人たちの習慣によって証明されました。彼らは祭司の家族の一員でしたが、祭司の家族は、その神殿の臨在の中で神の名を冒涜することによって、神に対して大きな罪を犯してしまったのです。祭司は、礼拝者たちに対する暴力を脅かすような振る舞いを、彼らの召使いに許したのです。彼らは、まだ犠牲が捧げられている最中に、フォークを釜に突き刺して、無作為に肉の一部を手に入れたのです。旧約聖書の律法では、動物のいけにえのどの部分を祭司が食べることが合法であるかが定められていました。旧約聖書の律法では、祭司が肉を適当に選ぶことは許されていなかったのです。祭司たちは、たとえそれが彼らの文化で受け入れられている礼拝のやり方の一部であったとしても、礼拝で好きなことをすることは許されなかったのです。さらに、彼らは自分たちが食べるために、生の脂身を焼くことを要求したが、これは旧約聖書の律法では規定されていないことであった。脂肪は煮沸してヤハウェに捧げるべきものだったのです。さらに、祭司が犠牲の肉を食べる方法として、焼くことは定められていなかった。もし礼拝者が祭司の召使いの要求に従わない場合、祭司の召使いは暴力をもって脅し、罪を犯した。さらに、祭司の息子たちは市民に対して罪を犯し、神殿の入り口に仕える女性たちと性的関係を持った。祭司長であるエリは、旧約聖書の律法に従って、そのような犯罪行為をした息子たちを直ちに退け、制止し、処罰させるべきでした。しかし、彼がしたことは、中途半端な警告を与えただけであった。ハンナの幼い息子サムエルを除く祭司職全員が、信仰を持たず、腐敗していたのである。シロにある犠牲の神殿制度は、祭司たちの罪によって汚れてしまっていた。著者は、彼らが父の警告に耳を貸さなかったのは、彼らを死に至らしめることがヤハウェの御心であったからだと言う。神は彼らの罪深い心を効果的に解き放ち、エジプトで神がパロにしたように彼らの心を硬くし、ヤハウェのいけにえ、名誉、崇拝者を軽んじるという悲しむべき罪の全罰を受けさせるようにされた。

2. ヤハウェは、悪しき祭司たちに裁きを下すと宣言しました(1サム2:30-34)。

30 それ ゆえ ─ ─ イスラエル の 神、 主 の ことば ─ ─ あなた の 家 と、 あなた の 父 の 家 は、 永遠 に わたし の 前 に 歩む と わたし は 確か に 言っ た ものの、 今や ─ ─ 主 の ことば ─ ─ それ は 絶対 に あり 得 ない。 わたし を 重んじる 者 を わたし は 重んじ、 わたし を 蔑む 者 は 軽 ん じ られる から だ。 31 見よ、 その 時代 が 来る。 その とき、 わたし は あなた の 腕 と、 あなた の 父 の 家 の 腕 を 切り落とす。 あなた の 家 には 年長 者 が い なく なる。 32 イスラエル が 幸せ にさ れる どんな とき にも、 あなた は わたし の 住まい の 衰退 を 見る よう に なる。 あなた の 家 には、 いつ までも、 年長 者 が い ない。 33 わたし は、 あなた の ため に、 わたし の 祭壇 から 一人 の 人 を 断ち切ら ない で おく。 その こと は あなた の 目 を 衰え させ、 あなた の たま しい を やつれ させる。 あなた の 家 に 生まれ て くる 者 は みな、 人 の 手 によって 死ぬ。 34 あなた の 二人 の 息子、 ホフニ と ピネハス の 身 に 降りかかる こと が、 あなた への しるし で ある。 二人 とも 同じ 日 に 死ぬ。

名前のない預言者がエリに、ヤハウェはその家族の悲しむべき罪のために神の裁きを下すと宣言した。エリの家系では誰も年を取らず、祭司の息子たちも同じ日に死んでしまう。彼の家の子孫は誰も老年にならないという預言は、後にサムエル記上で、サウル王がノブの祭司たちを虐殺したときに、彼の子孫の中でより完全に成就した。ノブの祭司のうち、アビアタルだけが逃げ出し、その後、王国から追放された。エリ祭司職の直系の息子たちの死は、エリ祭司職に対する神の裁きが必ず実現することを示すものであった。

神は、エリが神を敬うよりも、エリの息子たちを敬ったことでエリを裁かれた。この物語には、ヘブライ語の言葉遊びがあります。エリ神権は、シロの神殿に来る人々に、生贄の脂肪をヤハウェに渡す代わりに自分たちに渡すように要求した。エリとその息子たちは重くなり、”重さ “を持つようになった。彼らは、自分たちの考え方の中で、ヤハウェに「重さを与える」ことを拒んだのです。それで、エリが死んだとき、彼は自分の “重さ “のために倒れたので死んだのです。誰かを敬うということは、自分の忠誠心の重みを与えることである。エリは、神に与えるよりも息子たちに重さ(忠誠心)を与えてしまった。息子たちに忠誠を尽くすことは、必ずしも罪深いことではありません。罪深いのは、息子たちに対する忠誠が、神様に対する忠誠よりも大きかったことです。

神様は、被造物に対して、神様への忠誠を尽くし、誰よりも重んじることを要求され ます。神よりも人に忠誠を尽くすことは、福音そのものを否定することであり、偶像崇拝の一形態である。キリストの完成された御業によって、神がその民のためになされたことの大きさを体験した人は、喜んで神だけに最高の忠誠を捧げるべきです。

今日、私たちは政府の人々を尊敬するように命じられています。例えば、使徒は皇帝を敬うように命じています。そして、私たちが平和な生活を送ることができるように、政府の人々がうまく統治できるように、祈るように命じられています。しかし、権威ある人々が神に反抗した場合、私たちは彼らに忠誠を誓うかもしれませんが、私たちの忠誠はより神に従うものでなければなりません。私たちは人よりも神に従わなければならないのですから、彼らに悔い改めるよう励まなければなりません。

3. ヤハウェは、自分のシンボルをお守りとして使ったイスラエルと悪しき祭司たちを裁いた(1サム41b-11)。

1 サムエル の ことば が 全 イスラエル に 行き渡っ た ころ、 イスラエル は ペリシテ 人 に対する 戦い の ため に 出 て 行き、 エベン・エゼル の あたり に 陣 を 敷い た。 一方、 ペリシテ 人 は アフェク に 陣 を 敷い た。 2 ペリシテ 人 は イスラエル を 迎え撃つ 陣 備え を し た。 戦い が 広がる と、 イスラエル は ペリシテ 人 に 打ち 負かさ れ、 約 四 千人 が 野 の 戦場 で 打ち殺さ れ た。 3 兵 が 陣営 に 戻っ て 来 た とき、 イスラエル の 長老 たち は 言っ た。「 どうして 主 は、 今日、 ペリシテ 人 の 前 で われわれ を 打た れ た の だろ う。 シロ から 主 の 契約 の 箱 を われわれ の ところ に 持っ て 来よ う。 そう すれ ば、 012 その 箱 が われわれ の 間 に 来 て、 われわれ を 敵 の 手 から 救う だろ う。」 4 兵 たち は シロ に 人 を 送り、 そこ から、 ケルビム に 座し て おら れる 万 軍 の 主 の 契約 の 箱 を 担い で 来さ せ た。 そこ に、 神 の 契約 の 箱 とともに、 エリ の 二人 の 息子、 ホフニ と ピネハス が い た。 5 主 の 契約 の 箱 が 陣営 に 来 た とき、 全 イスラエル は 大 歓声 を あげ た。 それで 地 は どよめい た。 6 ペリシテ 人 は その 歓声 を 聞い て、「 ヘブル 人 の 陣営 の、 あの 大 歓声 は 何 だろ う」 と 言っ た。 そして 主 の 箱 が 陣営 に 来 た と 知っ た とき、 7 ペリシテ 人 は 恐れ て、「 013 神 が 陣営 に 来 た」 と 言っ た。 そして 言っ た。「 ああ、 困っ た こと だ。 今 までに、 こんな こと は なかっ た。 8 ああ、 困っ た こと だ。 だれ が この 力 ある 014 神 々 の 手 から、 われわれ を 救い出し て くれる だろ う か。 これ は、 荒野 で、 ありとあらゆる 災害 を もっ て エジプト を 打っ た 014 神 々 だ。 9 さあ、 ペリシテ 人 よ。 奮い立て。 男らしく ふるまえ。 そう で ない と、 ヘブル 人 が おまえ たち に 仕え た よう に、 おまえ たち が ヘブル 人 に 仕える よう に なる。 男らしく ふるまっ て 戦え。」 10 こうして ペリシテ 人 は 戦っ た。 イスラエル は 打ち 負かさ れ、 それぞれ 自分 たち の 天幕 に 逃げ、 非常 に 大きな 打撃 と なっ た。 イスラエル の 歩兵 三 万人 が 倒れ た。 11 神 の 箱 は 奪わ れ、 エリ の 二人 の 息子、 ホフニ と ピネハス は 死ん だ。

ペリシテ人はエーゲ海の海の民で、カナンの地に住み着き、イスラエルの民に絶え間ない問題をもたらした。イスラエル人がヤハウェに忠実であったとき、ヤハウェは彼らのために戦いました。しかし、彼らがヤハウェに不誠実であったとき、ヤハウェは自分の民に敵対し、敵に敗北するように彼らを引き渡された。時が経つにつれて、当時は神の言葉が一般的に教えられていなかったので、エリの祭司たちの霊的状態が貧しかったように、イスラエルの国家的霊的状態は貧しくなっていった(3:1)。ヤハウェに不誠実であった結果、イスラエル人は皆、ペリシテ人と戦争して大敗を喫することになる。何千人ものイスラエル兵が死んだ。ペリシテ人との最初の戦いで敗れた後、イスラエルの長老たちは契約の箱をシロから運び出しました。イスラエルの人々は、契約の箱を、自分たちを取り囲む国々の神々と同じようなものだと完全に誤解していた。基本的に、契約の箱はお守りだと勘違いしていたのです。しかし、聖書の神は、契約の箱が象徴する存在であり、ご自分の栄光のために起こるすべての状況を許可し、命令するという、完全な主権を持っています。運というのは弱いもので、神の主権という考え方に比べれば、非常に大きな格落ちである。この物語が証明するように、神は天上におられ、何でもお望みのままにされます(詩篇115:3)。2回目の戦いで、神の存在の象徴を戦場に持ち込んだところ、祭司の息子たちを含め、5倍の人数が死んでしまった。イスラエルの敵も含め、誰もが契約の箱がイスラエルに戦いに勝つだけの幸運を与えることを恐れていたのだが、それは間違いであった。ヤハウェが約束した神の裁きが、その民の上に降り注ぎ始めたのである。契約の民の中にヤハウェが存在することの象徴である証の箱(出エジプト記25:22)は、イスラエルの民を離れ、ペリシテ人のところへ行った。しかし、神の神聖な存在の象徴がペリシテに行ったのは、神が証の箱の管理を失ったからではありません。神の神聖な存在の象徴は、ペリシテ人にも神の裁きをもたらすために、ペリシテ人のところへ行ったのです。

エリの息子たちは、自分たちが神の民の名を名乗り、神の存在の象徴を自分たちの中に持っているから、自分たちが神の力を支配していると勘違いしていました。彼らは、自分たちが支配を必要とする状況に神の象徴を持ち込むことで、神の力を支配できると勘違いしていたのです。しかし、神はその栄光を人々と分かち合うことはなく、私たちの欲望に服従することもない。私たちは彼の被造物であり、神は私たちの被造物ではありません。彼は主であり、私たちではない。神は、祈りや供え物、あるいは献身を示すことで神々を操る異教の宗教とは異なります。被造物である私たちは、祈りにおいて神に服従しなければならないのであって、その逆ではありません。イエス様は、私たちにもそのように祈ることを教えられました。主の祈りのすべての行で、祈る人は神への服従を求めているのです。

多くの人が十字架や聖書を持ち歩いたり、牧師や宣教師との友情を保とうとしたりするのは、それが神様からの幸運や祝福をもたらすと誤解しているからです。また、牧師や宣教師になることで、より良い境遇になれると勘違いしている人もいます。祈りも同じで、毎日、特に苦難の時に祈りを捧げれば、状況が好転する可能性が高くなると考えている人が多い。しかし、そのような方法で神と関わるとき、私たちは悪のエリ神権と同じ罪を犯しているのです。むしろ、キリストを信じる者は、私たちの主キリスト・イエスにおいて、すでに天国のすべての祝福を手にしているのです。

神や神の象徴をお守りのように考えるのではなく、イエスとその使徒たちの明確な教えに同意するように心を変え、イエスに従順に対応できる可能な方法を考え抜かなければなりません。私たちは、自分の動機を調べ、自分の行動を評価し、神の言葉によって変容されることを受け入れなければなりません。仕事にやりがいを感じられないとき、キャリアや人間関係が思うように進まないとき、イエスをお守りのように扱うのではなく、主であるイエスに従うべきなのです。

天の父なる神様、エリとその息子たちの物語を考えるとき、私たちは御言葉に従ってあなたを敬い、礼拝することを怠ることの結果を目の当たりにします。私たちは、あなたの名誉を傷つけたり、あなたより上位のものや人に忠誠を誓ったりしたことについて、赦しを求めます。そして、あなたに従順でありながら、権威ある立場の人々を尊敬することができますように。私たちがあなたを敬う生き方をし、他の人々もあなたを知り、敬うように導くことができるように助けてください。イエスの御名において、私たちは祈ります。アーメン。

Intro: The book of 1 Samuel is structured around a series of risings and fallings of leaders of national Israel, as God sovereignly reshaped the tribal-leader nation into a nation led by a king. In today’s story, the Elian priests committed great atrocities against God in his temple presence because they did not know Yahweh. The problems within Israel’s priesthood were not merely personal problems, but also national problems. Israel did not know Yahweh very well either. The priests refused to know and honor Yahweh according to his Word, so He brought judgment upon the Elian priesthood, and Israel with them.

1. Yahweh’s sacrifices, honor, and worshipers were disrespected by evil priests (1 Sam. 2:12-17,22-25)

Reread Verse: 12 Now the sons of Eli were worthless men. They did not know the Lord. 13 The custom of the priests with the people was that when any man offered sacrifice, the priest’s servant would come, while the meat was boiling, with a three-pronged fork in his hand, 14 and he would thrust it into the pan or kettle or cauldron or pot. All that the fork brought up the priest would take for himself. This is what they did at Shiloh to all the Israelites who came there. 15 Moreover, before the fat was burned, the priest’s servant would come and say to the man who was sacrificing, “Give meat for the priest to roast, for he will not accept boiled meat from you but only raw.” 16 And if the man said to him, “Let them burn the fat first, and then take as much as you wish,” he would say, “No, you must give it now, and if not, I will take it by force.” 17 Thus the sin of the young men was very great in the sight of the Lord, for the men treated the offering of the Lord with contempt. … 22 Now Eli was very old, and he kept hearing all that his sons were doing to all Israel, and how they lay with the women who were serving at the entrance to the tent of meeting. 23 And he said to them, “Why do you do such things? For I hear of your evil dealings from all these people. 24 No, my sons; it is no good report that I hear the people of the Lord spreading abroad. 25 If someone sins against a man, God will mediate for him, but if someone sins against the Lord, who can intercede for him?” But they would not listen to the voice of their father, for it was the will of the Lord to put them to death.

Contextual meaning: Hannah was the harshly treated wife in a polygamous marriage and had been declared worthless by the priest Eli even though she had come to the temple at Shiloh to seek help from Yahweh. But in contrast to Hannah, it was the priest Eli’s sons who were worthless, because they did not know Yahweh. Their lack of knowledge of Yahweh was proven by the practices of the priests and their servants at the Temple at Shiloh. They were part of the priest’s family, but the priest’s family sinned greatly against God by profaning God’s name within his temple presence. The priest permitted their servants to behave in a way that threatened violence against the worshipers. They thrust the fork into the kettle while the sacrifices were yet being offered to get a random piece of meat. The Old Testament law prescribed which parts of the animal sacrifice were legal for priests to eat. They were not permitted by the Old Testament law to select meat at random. The priests were not permitted to do whatever they wanted to in worship even if it was part of their culture’s accepted way of doing worship. Furthermore, they demanded raw fatty meat for roasting, which was not prescribed by the Old Testament law. The fats were to be offered to Yahweh through the boiling process. Furthermore, roasting was not a prescribed way for priests to eat the sacrificial meats. If the worshiper did not comply with the demands of the priest’s servants, the priest’s servants sinned against them by threatening violence. Furthermore, the priest’s sons sinned against their nation and had sexual relations with the women serving at the entrance of the temple. Eli, the head priest, should have immediately deposed and restrained his sons and had them punished for such criminal acts according to the Old Testament law. However, all he did was give them a half-hearted warning. The entire priesthood, except for the young son of Hannah, Samuel, was faithless and corrupt. The sacrificial temple system at Shiloh had become defiled by the sins of the priests. The author says that they did not listen to the warning of their father because it was the will of Yahweh to put them to death. God effectively unrestrained their sinful hearts, giving them over to their sins, hardening their hearts like God had done to Pharoah in Egypt, so that they would suffer the full penalty for their grievous sins of disrespecting the sacrifices, honor, and worshipers of Yahweh.

2. Yahweh declared that he would bring judgment against the evil priests (1 Sam. 2:30-34).

Reread Verse: 30 Therefore the Lord, the God of Israel, declares: ‘I promised that your house and the house of your father should go in and out before me forever,’ but now the Lord declares: ‘Far be it from me, for those who honor me I will honor, and those who despise me shall be lightly esteemed. 31 Behold, the days are coming when I will cut off your strength and the strength of your father’s house, so that there will not be an old man in your house. 32 Then in distress you will look with envious eye on all the prosperity that shall be bestowed on Israel, and there shall not be an old man in your house forever. 33 The only one of you whom I shall not cut off from my altar shall be spared to weep his eyes out to grieve his heart, and all the descendants of your house shall die by the sword of men. 34 And this that shall come upon your two sons, Hophni and Phinehas, shall be the sign to you: both of them shall die on the same day.

Contextual meaning: A prophet that isn’t named declared to Eli that Yahweh will bring divine judgment upon his family because of their grievous sins. No one will become old in Eli’s family, and the priest’s sons will die on the same day. The prophecy that none of the descendants of his house would reach old age was more fully fulfilled later among his descendants in 1 Samuel, when King Saul slaughtered the priests of Nob. Of the priests of Nob, only Abiathar escaped and was subsequently exiled from the kingdom. The deaths of the immediate sons within the Elian priesthood served as a sign that the divine judgment upon the Elian priesthood would certainly come to pass.

Historical Understanding: God judged Eli for honoring Eli’s sons more than Eli honored God. There is a Hebrew wordplay going on in the story. The Elian priesthood demanded that the people coming to the temple at Shiloh give them the fat of the sacrifices instead of giving it to Yahweh. Eli and his sons became heavy, they had “weight.” They refused to “give weight” to Yahweh in their thinking. And so when Eli died, he died because he fell because of his “weight.” To honor someone is to give them the weight of one’s own loyalty. Eli gave more weight (loyalty) to his sons than he gave to God. Being loyal to his sons wasn’t necessarily sinful. What was sinful was that his loyalty for his sons was greater than his loyalty for God.

NT Doctrinal Application: God requires his creatures to give their full loyalty to him, and to give him more weight than anyone else. Giving more loyalty to people than to God is a denial of the gospel itself and is a form of idolatry. The person who has experienced the magnitude of what God has done for his people by the finished work of Christ should gladly give his highest loyalty to God alone.

NT Practical Application: Today, we are commanded to honor people in government. The Apostle commands us to honor the emperor, for example. And we are to pray for people in government so that they may rule well so that we may live peaceful lives. However, when those in authority rebel against God, while we may still be loyal to them, our loyalties must be more in submission to God. We must encourage them to repent, for we must obey God rather than men.

3. Yahweh judged Israel and the evil priests for using his symbols as good luck charms (1 Sam. 4:1b-11).

Reread Verse: 1b Now Israel went out to battle against the Philistines. They encamped at Ebenezer, and the Philistines encamped at Aphek. 2 The Philistines drew up in line against Israel, and when the battle spread, Israel was defeated before the Philistines, who killed about four thousand men on the field of battle. 3 And when the people came to the camp, the elders of Israel said, “Why has the Lord defeated us today before the Philistines? Let us bring the ark of the covenant of the Lord here from Shiloh, that it may come among us and save us from the power of our enemies.” 4 So the people sent to Shiloh and brought from there the ark of the covenant of the Lord of hosts, who is enthroned on the cherubim. And the two sons of Eli, Hophni and Phinehas, were there with the ark of the covenant of God. 5 As soon as the ark of the covenant of the Lord came into the camp, all Israel gave a mighty shout, so that the earth resounded. 6 And when the Philistines heard the noise of the shouting, they said, “What does this great shouting in the camp of the Hebrews mean?” And when they learned that the ark of the Lord had come to the camp, 7 the Philistines were afraid, for they said, “A god has come into the camp.” And they said, “Woe to us! For nothing like this has happened before. 8 Woe to us! Who can deliver us from the power of these mighty gods? These are the gods who struck the Egyptians with every sort of plague in the wilderness. 9 Take courage, and be men, O Philistines, lest you become slaves to the Hebrews as they have been to you; be men and fight.” 10 So the Philistines fought, and Israel was defeated, and they fled, every man to his home. And there was a very great slaughter, for thirty thousand foot soldiers of Israel fell. 11 And the ark of God was captured, and the two sons of Eli, Hophni and Phinehas, died.

Contextual meaning: The Philistines were an Aegean seafaring people that settled in the land of Canaan and brought continual trouble upon the Israelites. When the Israelites were faithful to Yahweh, Yahweh fought their battles for them. However, when they were unfaithful to Yahweh, Yahweh opposed his own people and turned them over to be defeated by their enemies. As time continued, the national spiritual condition of Israel became poorer, just as the spiritual condition of the Elian priests was poor, because the word of God was rare in those days (3:1). As a result of their unfaithfulness to Yahweh, the Israelites would all suffer a great defeat by warring against the Philistines. Many thousands of Israelite soldiers died. After the loss of the first battle with the Philistines, Israel’s elders brought the Ark of the Covenant out from Shiloh. The Israelites completely misunderstood the Ark of the Covenant as if it was similar to the gods of the nations that surrounded them. Basically, they mistakenly thought that the Ark of the Covenant was a good luck charm. But the God of the Bible, whose presence the Ark of the Covenant symbolized, has completely sovereignty, as he permits or ordains all circumstances that happen for his own glory. Luck is a weak idea, a very big downgrade when compared with the idea of God’s sovereignty. God is in the Heavens and does whatever he pleases (Psalm 115:3), as this story would prove. In the second battle when they brought the symbol of God’s presence with them into battle, five times as many people died, including the priest’s sons. Everyone, including Israel’s enemies, was afraid that the Ark of the Covenant would give Israel enough luck to win the battle, but everyone was mistaken. The divine judgment that Yahweh had promised began to come upon his people. The Ark of the Testimony, the symbol of Yahweh’s presence among his covenant people (Exodus 25:22), left the Israelites and went to the Philistines. But the symbol of God’s sacred presence didn’t go to the Philistines as if God lost control of the Ark of the Testimony. The symbol of God’s sacred presence went to the Philistines to bring divine judgment upon the Philistines as well.

Historical Understanding: Eli’s sons made the mistake of thinking that because they bore the name of God’s people and possessed the symbols of God’s presence among them, that they were in command of God’s power. They mistakenly thought that they could control the power of God by carrying his symbols into situations where they needed control. But God does not share his glory with people and does not submit to our desires. We are his creation, God is not our creation. He is the Lord, not us. God is unlike pagan religions where the gods are manipulated by prayers, offerings, or a show of devotion. As his creatures, we must submit to him in our prayers, not the other way around. That is how Jesus taught us to pray as well. In every line of the Lord’s Prayer, the person praying is seeking submission to God.

NT Doctrinal Application: Many people carry a cross with them, or a Bible, or try to maintain a friendship with a pastor or missionary because they mistakenly think that it brings them a measure of good fortune or blessing from God. Some people even mistakenly think that becoming a pastor or missionary will bring them better circumstances. Many people treat prayer the same way, thinking that by saying a prayer every day and especially during hardships, it will increase the chances of an improved outcome of the situation. However, when we relate to God in those ways, we are committing the same sins as the evil Elian priesthood. Instead, those who have faith in Christ already have all the blessings in Heavenly places in Christ Jesus our Lord.

NT Practical Application: Instead of thinking of God or symbols of God like a good luck charm, we must change our minds to agree with the clear teachings of Jesus and his Apostles and think through the possible ways we could respond in obedience to Jesus. We must examine our motivations and assess our behavior and be open to being transformed by the Word of God, not decorate ourselves with Christian symbols hoping for an improved outcome. When our work seems unfulfilling, or our careers or relationships are not progressing as we had hoped, we should follow Jesus as our Lord rather than treat him like a good luck charm.

Closing Prayer: Heavenly Father, as we think about the story of Eli and his sons, we see the consequences of failing to honor and worship You according to Your Word. We ask for forgiveness for any ways we have dishonored You or placed our loyalty in anything or anyone above You. May we always give You the weight of our loyalty, and may we honor those in positions of authority while remaining obedient to You. Help us to live lives that honor You and lead others to know and honor You as well. In Jesus’ name, we pray. Amen.

Post a comment

en_USEN