ENGLISH FOLLOWS THE JAPANESE イエスとは誰なのか、なぜ人類の間に生まれたのか。これが、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書が答えようとしている問いである。マタイの福音書がイエスの起源をダビデ王の先祖から説明することから始めるのに対し、ヨハネの福音書はイエスの神の起源を説明することから始める。ヨハネは、イエスは人類に対する神の啓示であり、子なる神であると説明する。ヨハネの福音書を通して、ヨハネは、人間が霊的な命を受けることができるのはイエスによってのみであると説明する。そして、その霊的な命は、イエスを御子なる神として信じる者にのみ与えられるのである。 I. イエスは永遠の御子なる神であり、私たちの創造主であり、光といのちの与え主であ る(ヨハネ1:1-5)。 初め に ことば が あっ た。 ことば は 神 とともに あっ た。 ことば は 神 で あっ た。この 方 は、 初め に 神 とともに おら れ た。すべて の もの は、 この 方 によって 造ら れ た。造ら れ た もの で、 この 方 に よら ず に でき た もの は 一つ も なかっ た。この 方 には いのち が あっ た。 この いのち は 人 の 光 で あっ た。光 は 闇 の 中 に 輝い て いる。 闇 はこれ に 打ち勝た なかっ た。 第1章で、ヨハネは光、闇、真理、証し人、世界といった概念を紹介しているが、これらはヨハネがイエスの物語を語る中で展開していくテーマである。しかし、ヨハネがこの序章で用いている概念には、この後、再び論じることのないものがある。ヨハネはこの箇所だけで、イエスを “御言葉 “と呼んでいる。これは、”みことば “が何を意味するのか、私たちがすでに知っているはずだということを暗示している。もちろん、”ことば “とは、神がこれまで伝えてきたこと、伝えることができること、そしてこれからも伝えるであろうことすべてを指す。何千年もの間、旧約聖書は “御言葉 “の意味を定義してきた。 神の言葉は、創造、摂理、贖い、裁きという神の業を成し遂げるものである。ヨハネはイエスを “神の言葉...

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イエスの地上での働きの間、より一貫してイエスと一緒にいた12人の弟子たちがいました。しかし、その12人の弟子たちの中に、よりイエスに近い弟子たちの内輪がいた。その一人がヨハネで、イエスの生涯と死、そして復活を劇的に伝える4つの福音書のうちの1つを書きました。ヨハネは、イエスの主張が真実であること、そしてイエスは弟子たちの助けを借りずに自分自身で私たちの救いを成し遂げたことを示す、7つの偉大な奇跡を中心に本を構成しました。ヨハネは、イエスを人類の普遍的なニーズ(光、パン、水、命)に対する答えとして、またユダヤ人の祝祭と儀式の成就として描いている。ヨハネの福音書は、イエスが自分自身について語ったことを信じるか信じないかを読者に選ぶ必要を突きつけている点でユニークである。 1. 復活したイエスは、弟子たちに教会での働きのための力を与える(ヨハネ20:19-23)。 19 その 日、 すなわち 週 の 初め の 日 の 夕方、 弟子 たち が い た ところ では、 ユダヤ 人 を 恐れ て 戸 に 鍵 が かけ られ て い た。 する と、 イエス が 来 て 彼ら の 真ん中 に 立ち、 こう 言わ れ た。「 平安 が あなた がた に ある よう に。」 20 こう 言っ て、 イエス は 手 と 脇腹 を 彼ら に 示さ れ た。 弟子 たち は 主 を 見 て 喜ん だ。 21 イエス は 再び 彼ら に 言わ れ た。「 平安 が あなた がた に ある よう に。 父...

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(This sermon was preached in Japanese and English. Scroll down to read it in English.) 多くの国では、一年を通して独自のお祭りや祝祭日があります。日本では、夏祭りに行って、日本舞踊を見たり、花火を見たり、屋台で食べ物を買ったりして、友人や家族と一緒に楽しむ人がいます。欧米では、感謝祭やクリスマスが重要な祝日です。マタイによる福音書にも、イエスが参加した大切なお祭りの話が書かれています。しかし、そのお祭りは、従来のお祭りとは大きく異なっています。この祭りは、旧約の民に対する神の善意を、旧約の民が毎年思い出すことができるように、神ご自身が命じられたものである。神が毎年行うように命じたこの祭りに参加することによって、イエスはイスラエルが期待したメシアの王であるため、イエスは旧約聖書に完全に従い、成就し続けたのです。 1. イエスは、自分が拒絶され十字架につけられるとわかっていても、父に従い、喜ばれたのです。(マタイ26:17-25) 17 さて、 種 なし パン の 祭り の 最初 の 日 に、 弟子 たち が イエス の ところ に 来 て 言っ た。「 過 越 の 食事 を なさる のに、 どこ に 用意 を し ましょ う か。」 18 イエス は 言わ れ た。「 都 に 入り、 これ これ の 人 の ところ に 行っ て 言い なさい。『 わたし の 時 が 近づい た。 あなた の ところ で 弟子 たち と 一緒 に過 越 を 祝い たい、 と 先生 が 言っ て...

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