旧約聖書の講義をお休みして、5週間かけてイエスの死と復活を取り巻く時間枠について話し合います。今日は、イエスがエルサレムに到着し、来るべきイスラエルの王として弟子たちに歓迎されたときのことを読みます。弟子たちは、イエスがすぐにエルサレムに王国を築かれることを期待していましたが、イエスは、人間は罪人であり、自分の支配に抵抗することを知っていました。イエス様は、ご自分の支配に反対する人々に警告を発し、弟子たちの祝福を受け、宗教指導者たちがご自分の支配に反対したためにエルサレムが破壊されたことに涙されました。 1. イエスは、王としての支配に反対するものは裁きを受けると警告されました(ルカ 19:26-27)。 26 彼 は 言っ た。『 おまえ たち に 言う が、 だれ でも 持っ て いる 者 は さらに 与え られ、 持っ て い ない 者 からは、 持っ て いる 物 までも 取り上げ られる の だ。 27 また さらに、 私 が 王 に なる のを 望ま なかっ た あの 敵 ども は、 ここ に 連れ て 来 て、 私 の 目 の 前 で 打ち殺せ。』」 これは、イエスがエルサレムですぐに王国を完成させると期待していた人たちに対して、イエスが説いたたとえ話の最後の文章です。イエスはエルサレムに入城し、その王国を始めようとされましたが、弟子たちが期待したように、その王国はすぐに完成されるわけではありませんでした。イエスは、地上での宣教の間、ずっと言っていたように、エルサレムに行って、律法学者やファリサイ派の人々に拒絶され、殺される予定だったのです。しかし、その死によって、イエスの王国は始まりましたが、完成することはありませんでした。彼のたとえ話には、主人の帰りを期待する忠実なしもべと不忠実なしもべが登場します。主人が帰ってくると、ほとんどのしもべは忠実であったが、一人のしもべは不忠実であった。その不忠実なしもべは敵として認定され、処刑を言い渡された。イエスは、エルサレムに入って宗教指導者たちに拒絶される寸前であったことを忘れてはならない。弟子たちは、イエスから与えられたイスラエルに御国のメッセージを伝えるという使命をすでに果たしていたので、忠実な僕であった。しかし、パリサイ人や律法学者は、イエスを指し示すモーセの律法を持ちながら、イエスの支配と権威に反対していたので、不誠実な僕だった(ヨハネ5:46)。エルサレムの宗教指導者たちは、イスラエルを導いてイエスを拒んでいたので、神は神の裁きによって、彼らが持っていた神とのつながり(神殿制度)を彼らから取り上げようとされたのです。パリサイ人が確立された宗教的伝統、何世紀もの聖書の教えの経験、そして美しいエルサレム神殿を持っていたことは問題ではありませんでした。パリサイ人は、キリストの支配に従わないことで神に逆らったため、都市を得ることはできず、エルサレムを失うことになったのです。しかし、イエスの弟子たちは、キリストを信じる信仰によってキリストの支配に服従したため、神の国の市民となり、さらに大きな責任を与えられることになったのです。 今日、すべての人は、信仰をもってイエスに応答し、その支配に服従する責任を負っています。クリスチャンは悔い改め、信仰によってキリストとその使徒たちの教えに従う責任があります。イエスの支配に従わない者、例えば、パリサイ人や律法学者のように、神の契約の民と交わりながらイエスの命令に従わない者は、裁きの時に神によって責任を問われることになります。彼らは、キリストの支配を拒否したために、キリストにある神の神殿の存在から、永遠の炎と苦しみの場所に追い出されるのです。しかし、イエスは裁きについてだけでなく、神の恵みによって神に忠実であった人々への報いについても教えられました。イエスは、忠実な人々にさらに多くのことを約束し、彼らがさらに大きな能力で神に仕えることを許された。神は、私たちが歩むべき良い行いを提供し、私たちは、その良い行いを歩むことによって、キリストに忠実であるという道徳的責任を負っています。 あなたは、イエス様の裁きによる再臨に備えることができますか?イエスの支配に反抗することは、正当な理由がなく、破滅に導くだけです。一方、キリストを信じ、人生のあらゆる領域でその支配に服従する理由は数え切れないほどあります。キリストに忠実であることは、キリストと永遠に共にあり、キリストと共に支配する機会を増やすことにつながります。ですから、自分の罪を悔い改め、キリストを主と信じ、キリストの命令に忠実に従い、キリストが裁きに来られるのに備えましょう。 2. イエスの主権者としての治世は、弟子たちには受け入れられたが、パリサイ人たちには反対された(ルカ19:28-40)。 28 これら の こと を 話し てから、 イエス は 117 さらに 進ん で、 エルサレム へと 上っ て 行か れ た。 29 118 オリーブ という 119 山 の...
ENGLISH FOLLOWS THE JAPANESE ヤコブ の 手紙 2:10 律法 全体 を 守っ ても、 一つ の 点 で 過ち を 犯す なら、 その 人 は すべて について 責任 を 問わ れる から です。 11 「姦淫 し ては なら ない」 と 言わ れ た 方 は、「 殺し ては なら ない」 とも 言わ れ まし た。 です から、 姦淫 し なく ても 人殺し を すれ ば、 あなた は 律法 の 違反 者 に なっ て いる の です。 マラキ書が書かれたのは、ネヘミヤがエルサレム周辺の城壁を再建し、共同体が宗教改革を行った100年近く後のことです。旧約聖書の最後の書物です。従って、マラキ書は新約聖書への移行部なのです。新約聖書の出来事は、マラキ書の出来事からわずか400年後のことです。マラキ書の要点は、再び中途半端な宗教に陥ってしまった神の民に、神の民が神の掟に従わないときには神の裁きが下るが、神の掟に従う者には神の祝福が下ることを思い起こさせることです。神の旧約の民が信じていた罪深い誘惑とは、神を信じる信仰生活は、宗教的な重荷に苦しむ生活であるというものでした。この間違った考え方が、お金の使い方、結婚の仕方、家族の育て方、生き方に罪を犯させました。預言者マラキは、神の民を驚かせるために風刺的に書き、彼らの罪を暴き、彼らの考え方や望んでいることを変え、神が誰であるか、神が命じられたことに従って生きるように説得しました。 1. 邪悪な者は、個人的な繁栄を得ようとして献金をやめる(マラキ3:7-12) 7 あなた がた の 先祖 の 時代 から、 あなた がた は わたし の 掟 を 離れ、 それ を 守ら なかっ た。...
ENGLISH FOLLOWS THE JAPANESE 先週私たちは、ネヘミヤ記がエルサレムの町の物理的な改革の歴史を記録していることを学びました。神の主権的な恵みによって、ペルシャ王の杯を持つ者がエルサレムに行き、町を囲んでいた古代の防御壁を再建する工事を指揮することになったのです。しかし、城壁が再建されたからといって、エルサレムが突然、霊的に健全な都市に戻ったわけではありません。神の民の霊的改革はどのように行われたのでしょうか? 1. 神の民の霊的な改革は、聖書が教えられたときに起こります(ネヘミヤ8:1-8)。 1 民 全体 が、 一斉 に 水 の 門 の 前 の 広場 に 集まっ て 来 た。 そして 彼ら は、 主 が イスラエル に 命じ た モー セ の 律法 の 書 を 持っ て 来る よう に、 学者 エズラ に 言っ た。 2 そこで、 第 七 の 月 の 一日 に 祭司 エズラ は、 男、 女、 および、 聞い て 理解 できる 人 たち すべて から なる 会衆 の 前 に 律法 を 持っ て 来 て、 3 水 の 門 の 前 の 広場 で 夜明け から 真昼 まで、 男、 女、...
English comes after the Japanese 今朝はエステル記を読みます。エステル記の目的は、ユダヤ人が毎年祝っているプリム祭がどのように始まったかを説明することです。神の契約の民が神の契約の掟に従うことを拒み、その結果バビロンに流刑され、やがてバビロンはペルシャに征服されました。ペルシャでの生活は決して楽なものではなく、ペルシャ文化の強さは、そこに捕囚されていたイスラエルの民の霊的アイデンティティを消滅させる恐れがありました。この書物では、神について明確には言及されていませんが、神はイスラエルの民が必要とするものを与え、特に命が脅かされるような状況において、悪に抵抗し神に頼るために必要なものを与えるために、共に状況を働かせ続けられたことがわかります。不敬虔な文化的圧力が強まるとき、私たちは考え方や行動をより聖なるものとすることで、霊的アイデンティティを保つべきです。今日、このことは、周囲の不敬虔な文化に合わせるのではなく、イエスのようになることによって達成されます。 I. 神はご自分の民を養われる一方で、私たちが指導者たちの前に立たなければならな い時には、勇気を持つようご自分の民に呼びかけられます(エステル記4:13-17)。 13 モル デ カイ は エステル に 返事 を 送っ て 言っ た。「 あなた は、 すべて の ユダヤ 人 から 離れ て 王宮 に いる ので 助かる だろ う、 と 考え ては いけ ない。 14 もし、 あなた が この よう な とき に 沈黙 を 守る なら、 別 の ところ から 助け と 救い が ユダヤ 人 の ため に 起こる だろ う。 しかし、 あなた も、 あなた の 父 の 家 も 滅びる だろ う。 あなた が この 王国 に 来 た のは、 もしか する と、 この よう な 時 の...
ENGLISH FOLLOWS THE JAPANESE 今朝は新約聖書のヘブル人への手紙から読みます。この本の目的は、初代教会時代に迫害されていたクリスチャンたちに、信仰から目を背けることなく、耐え忍んでイエスへの信仰を持ち続けるように警告することです。クリスチャンの特定のグループは、以前はユダヤ人でしたが、キリスト教に改宗しました。当時のローマ帝国では、キリスト教は正式に認められた宗教ではなかったため、キリスト教徒はローマ帝国から迫害を受けていました。ユダヤ教がローマ帝国に正式に認められていたため、迫害のためにキリスト教をあきらめてユダヤ教に戻ろうという誘惑に駆られたのです。この本の主な教訓は、クリスチャンは耐え忍ばなければならず、順を追って宗教的慣習の体系に逆戻りしてはならないということです。その代わりに、私たちはイエスがどのようなお方であり、何を成し遂げてくださったかに希望を抱かなければなりません。今朝読んでいる箇所では、私たちよりも先に神の御前に行かれた偉大な大祭司イエスを信じる者を救うという神の確かな約束のゆえに、私たちはイエスだけに確かな希望を持つことができるのです。 I. アブラハムに対する神の約束と誓いは、神の偉大さを示しています(ヘブル6:13-16) 13 神 は、 アブラハム に 約束 する 際、 ご 自分 より 大いなる もの にかけて 誓う こと が でき なかっ た ので、 ご 自分 にかけて 誓い、 14 「確か に わたし は、 あなた を 大いに 祝福 し、 あなた を 大いに 増やす」 と 言わ れ まし た。 15 この よう に し て、 アブラハム は 忍耐 の 末 に 約束 の もの を 得 た の です。 16 確か に、 人間 は 自分 より 大いなる もの にかけて 誓い ます。 そして、 誓い は すべて の 論争 を 終わら せる 保証 となり ます。 これらの節では、神の約束の性質が説明されています。クリスチャンが迫害されても、神は再臨の時に裁きから救ってくださるという信仰を持って耐え忍ぶことができます。私たちは、創世記22章で神がアブラハムに与えた約束を、人間の誓いに例えて思い起こします。人間が誓いを立てるとき、私たちは自分よりも上位の権威に対して、誓いを守ることを誓います。日本では保証人の権威に基づいて法的拘束力のある誓いを立てます。もし誓いを守れなかった場合、保証人はその人に責任を負わせます。アメリカでは、法的拘束力のある宣誓は裁判官や、法的拘束力のある宣誓を観察する権限を政府から与えられた人、例えば結婚の誓いをする人を観察する信徒の牧師の前で行う傾向があります。もし誓いを守らなかった場合、裁判官や牧師、信徒はその人に責任を問います。 II. アブラハムに対する神の約束と誓いは、神の不変の目的を示す(ヘブル6:17-18a) 17...
ENGLISH FOLLOWS THE JAPANESE 先週、私たちはゼカリヤ書から、エルサレムを再建するようイスラエル人を励ました神の国の到来という約束について読んだ。そして、神の国はイスラエル人の従順によって最終的に成就するのではなく、神の国を始めた唯一の従順なイスラエル人の王であり、再臨の時に神の国を完成させるキリストにおいて最終的に成就するということを読んだ。とはいえ、預言者たちの説教は、バビロンへの追放から帰還したイスラエルの民に、バビロンがエルサレムを征服した数世代前に破壊されたエルサレムの地とエルサレム神殿を再建し続けるよう勧めた。しかし、近くに住んでいた神の敵たちは、神殿を再建している人々を中傷し、アルタクセルクセス王は、神殿の建設を中止するよう建設者たちに命じた。王が建設を中止するように命じたなら、神殿はどのように再建されるのだろうか? I. 神殿再建が始まったのは、神の名による預言のためであった(エズラ4:24-5:2) 24 こうして、 エルサレム に ある 神 の 宮 の 工事 は 中止 さ れ、 ペルシア の 王 ダレイオス の 治世 の 第二 年 まで 中止 さ れ た まま に なっ た。 5 1 さて、 預言者 ハガイ と イド の 子 ゼカリヤ という 二人 の 預言者 は、 ユダ と エルサレム に いる ユダヤ 人 に対して、 自分 たち の 上 に おら れる イスラエル の 神 の 御名 によって 預言 し た。 2 そこで シェアルティエル の 子 ゼルバベル と、 エホツァダク の 子 ヨシュア は 立ち上がり、 エルサレム に ある 神 の 宮 を 建て...
ENGLISH FOLLOWS THE JAPANESE 旧約聖書と呼ばれる聖書の最初の部分では、神の民は守らなければならない契約の律法を与えられました。もし彼らがその掟に背くなら、神は彼らを神の神殿の前からバビロンに追放して呪うと脅しました。イスラエルとユダの人々は神の戒めを破ったことを悔い改めようとしなかったので、神の約束通り、彼らはバビロンに追放されました。しかし、70年間の捕囚生活の後、神はご自分の民に恵みと憐れみを与え、バビロンを征服したペルシャのキュロス王を使い、何世紀も前に預言者たちを通して約束されたように、彼らをイスラエルに送り返されたのです(イザヤ45:1-5,13; エレミヤ5:11-12; 29:10)。 I. 神は、民をエルサレムに送り返すという約束を果たすために、キュロス王を用いられました(エズラ1:1-4)。 1 ペルシア の 王 キュロス の 第一 年 に、 エレミヤ によって 告げ られ た 主 の ことば が 成就 する ため に、 主 は ペルシア の 王 キュロス の 霊 を 奮い立た せ た。 王 は 王国 中 に 通達 を 出し、 また 文書 にも し た。 2 「ペルシア の 王 キュロス は 言う。『 天 の 神、 主 は、 地 の すべて の 王国 を 私 に お 与え くださっ た。 この 方 が、 ユダ に ある エルサレム に、 ご 自分 の ため に 宮 を 建てる よう 私 を 任命...
ENGLISH FOLLOWS THE JAPANESE 今月のクリスマス・レッスンに先立ち、私たちはエレミヤ書とダニエル書を学んでいた。これらの書物では、イスラエルの民は神の旧約の律法に背き、神の神聖な神殿の臨在から離れて流浪の民として送られた。しかし、たとえ彼らがバビロンに住む流浪の民であり、神の神殿の臨在から遠く離れていたとしても、神は全知全能であるため、神の臨在はバビロンにいる契約の民と共にあった。それは聖書全体を通して教えられている概念である。バビロンに追放される以前から、イスラエルの民は神の臨在がどこにでもあることを知っていた。今朝は、列王記上8章から最初の朗読を始める。この章は、イスラエルの民がバビロンに追放される前、王国が2つの王国に分裂する前の出来事である。この章では、ソロモンと共同体はエルサレムに神の神殿を建て終えた。エルサレムは、まだ統一王国であったイスラエル王国の首都であった。契約の民の間における神の神聖な存在の象徴である契約の箱は、完成した神殿に運び込まれたばかりであった。神は神殿を神聖な臨在の栄光の雲で満たし、祝福を与えたばかりだった。ソロモン王は、神が父ダビデ王に約束された契約の約束を繰り返し、神殿の完成によってその約束が成就したことを告げた。しかし、旧約の律法の一部には、もし民が神に反抗して偶像を拝むなら、神の神殿の前から追放されると定められていた。契約の呪いの脅威のために、もし彼らが実際に神の神殿の前から追放されたら、どうやって神を礼拝することができるだろうか? I. 神は天におられ、民の予期された祈りを聞かれる(列王記上8:27-30) 27 それにしても、 神 は、 はたして 地 の 上 に 住まわ れる でしょ う か。 実に、 天 も、 天 の 天 も、 あなた を お 入れ する こと は でき ませ ん。 まして 私 が 建て た この 宮 など、 なおさら の こと です。 28 あなた の しも べ の 祈り と 願い に 御 顔 を 向け て ください。 私 の 神、 主 よ。 あなた の しも べ が、 今日、 御前 に ささげる 叫び と 祈り を 聞い て ください。 29 そして、 この 宮、 すなわち『 わたし の 名 を そこ に 置く』 と...
ENGLISH FOLLOWS THE JAPANESE イエスとは誰なのか、なぜ人類の間に生まれたのか。これが、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書が答えようとしている問いである。マタイの福音書がイエスの起源をダビデ王の先祖から説明することから始めるのに対し、ヨハネの福音書はイエスの神の起源を説明することから始める。ヨハネは、イエスは人類に対する神の啓示であり、子なる神であると説明する。ヨハネの福音書を通して、ヨハネは、人間が霊的な命を受けることができるのはイエスによってのみであると説明する。そして、その霊的な命は、イエスを御子なる神として信じる者にのみ与えられるのである。 I. イエスは永遠の御子なる神であり、私たちの創造主であり、光といのちの与え主であ る(ヨハネ1:1-5)。 初め に ことば が あっ た。 ことば は 神 とともに あっ た。 ことば は 神 で あっ た。この 方 は、 初め に 神 とともに おら れ た。すべて の もの は、 この 方 によって 造ら れ た。造ら れ た もの で、 この 方 に よら ず に でき た もの は 一つ も なかっ た。この 方 には いのち が あっ た。 この いのち は 人 の 光 で あっ た。光 は 闇 の 中 に 輝い て いる。 闇 はこれ に 打ち勝た なかっ た。 第1章で、ヨハネは光、闇、真理、証し人、世界といった概念を紹介しているが、これらはヨハネがイエスの物語を語る中で展開していくテーマである。しかし、ヨハネがこの序章で用いている概念には、この後、再び論じることのないものがある。ヨハネはこの箇所だけで、イエスを “御言葉 “と呼んでいる。これは、”みことば “が何を意味するのか、私たちがすでに知っているはずだということを暗示している。もちろん、”ことば “とは、神がこれまで伝えてきたこと、伝えることができること、そしてこれからも伝えるであろうことすべてを指す。何千年もの間、旧約聖書は “御言葉 “の意味を定義してきた。 神の言葉は、創造、摂理、贖い、裁きという神の業を成し遂げるものである。ヨハネはイエスを “神の言葉...
ENGLISH FOLLOWS THE JAPANESE 今日、私たちはマタイの福音書を読んでいる。この福音書は、ユダヤ人の著者がユダヤ人の読者に向けて書いたものである。彼は、イエスの生涯と私たちの罪のための身代わりの贖いが、待ち望まれていた油注がれた者、永遠の王に関する旧約聖書の預言の成就であったことを証明している。マタイはまた、イエスの弟子になろうとする人々が、イエスの言葉を信じ、従わなければならないことを理解するように書いた。マタイによる福音書の第1章では、イエスがユダヤ人の王としてダビデの王位を受け継ぐ権利を持っていることを証明するために、イエスの系図を詳述してイエスを紹介している。しかし、問題がある。イエスが生まれた時代、エルサレムにはすでに王がおり、支配的な宗教があった。イエスの王としての統治が成功する可能性はあるのだろうか?第2章で、マタイはイエスの幼児期について語る。今朝は、イエスの幼少期を通し、神がどのようにイエスの王権継続へと導く贖いの計画を実行し続けたかを読むことにしよう。 I. マギは長い間待ち望まれていた王を礼拝するためにエルサレムに来たが、それは神の計画を成就させるために意図的に起こったことであった(マタイ2:1-11)。 1 イエス が ヘロデ 王 の 時代 に、 ユダヤ の ベツレヘム で お 生まれ に なっ た とき、 見よ、 東 の 方 から 博士 たち が エルサレム に やって来 て、 こう 言っ た。 2 「ユダヤ 人 の 王 として お 生まれ に なっ た 方 は、 どこ に おら れ ます か。 私 たち は その 方 の 星 が 昇る のを 見 た ので、 礼拝 する ため に 来 まし た。」 3 これ を 聞い て ヘロデ 王 は 動揺 し た。 エルサレム 中 の 人々 も 王 と 同じ で...