(1 Sam. 17:16-51) The Victory of the Davidic Kings

ダビデとゴリアテの物語は、ダビデという若い英雄がゴリアテという巨漢の戦士を倒すという、よく知られた聖書の物語である。この物語は、軍隊が山に集まり、主人公が鎧を身につけ、敵から戦いを挑まれるという、典型的な戦いの物語のパターンを持っている。戦いの直前には、2人の戦士の間に特別な嘲笑もある。結局、ダビデは戦いに勝ち、叫びながら勝利を祝い、ゴリアテの首を恐怖を煽るトロフィーとして手にする。しかし、この物語の最も重要な部分は、ダビデが偉大な戦士であることではなく、神がダビデを助けてゴリアテを倒し、契約の民を神の敵から救われたことなのである。また、この物語は、ダビデがいかに神の契約の約束を信頼し、その結果、サウル王よりも優れたリーダーであったかという歴史的な詳細を示しているのである。

I. 未来の王は、神の敵を倒すために武力や操作、名声を必要としなかった(1サム17:16-17,22-24,28-33)。

例 の ペリシテ 人 は、 四十日 間、 朝 早く と 夕暮れ に 出 て 来 て 立ち 構え た。   エッ サイ は 息子 ダビデ に 言っ た。「 さあ、 兄さん たち の ため に、 この 炒り 麦 一 エパ と、 この パン 十 個 を 取り、 兄さん たち の 陣営 に 急い で 持っ て 行き なさい。[…] ダビデ は、 父 から ことづかっ た 物 を 武器 を 守る 者 に 預け、 陣地 に 走っ て 来 て、 兄たち に 安否 を 尋ね た。 ダビデ が 彼ら と 話し て いる と、 なんと、 その とき、 あの 代表 戦士 が、 ペリシテ 人 の 陣地 から 上っ て 来 た。 ガテ 出身 の ゴリヤテ という 名 の ペリシテ 人 で あっ た。 彼 は 前 と 同じ こと を 語っ た。 ダビデ は これ を 聞い た。   イスラエル の 人 は みな、 この 男 を 見 た とき、 彼 の 前 から 逃げ、 非常 に 恐れ た。[…] 兄 の エリ アブ は、 ダビデ が 人々 と 話し て いる のを 聞い た。 エリ アブ は ダビデ に 怒り を 燃やし て 言っ た。「 いったい、 おまえ は、 なぜ やって来 た のか。 荒野 に いる あの わずか な 羊 を、 だれ に 預け て 来 た のか。 私 には、 おまえ の うぬぼれ と 心 に ある 悪 が 分かっ て いる。 戦い を 見 に やって来 た のでは ない のか。」 ダビデ は 言っ た。「 私 が 今、 何 を し た という の です か。 一言、 話し た だけでは あり ませ ん か。」 ダビデ は 兄 から 別 の 人 の 方 に 向き直り、 同じ こと を 尋ね た。 する と、 兵 たち は 先ほど と 同じ 返事 を し た。   ダビデ が 言っ た こと は 人々 の 耳 に 入り、 サウル に 告げ られ た。 それで、 サウル は ダビデ を 呼び寄せ た。 ダビデ は サウル に 言っ た。「 あの 男 の ため に、 だれ も 気 を 落とし てはなり ませ ん。 この しも べ が 行っ て、 あの ペリシテ 人 と 戦い ます。」 サウル は ダビデ に 言っ た。「 おまえ は、 あの ペリシテ 人 の ところ へ 行っ て、 あれ と 戦う こと は でき ない。 おまえ は まだ 若い し、 あれ は 若い とき から 戦士 だっ た の だ から。」

ダビデの3人の兄は、サウル王の軍隊で戦っていました。彼らの父親であるジェシーは、ダビデに兄たちの世話をするために、食べ物を持ってくるように言いました。これは、創世記のヨセフの話を思い出させる意味があります。ヨセフの父ヤコブは、彼が兄たちに食べ物を持っていくことを信頼していた(創世記37:2-3、12-14)。ダビデは他の人々から見ると、10代の未熟な少年で、家畜の世話をしたり、王様のために音楽を演奏したりしている少年にしか見えませんでした。彼は、わずかな食料を配達し、兄弟の健康状態を確認するために派遣されました。エファ1杯の炒った穀物とパン1個が下層階級の人々の食べ物であった。近東の文脈での40という数字は、危険を表す数字でした(創世記8:6、士師記13:1)。ゴリアテはサウル王の軍隊を40日間も愚弄した。ダビデとその家族は取るに足らない存在に見えたが、ゴリアテは危険で、王の軍隊にさえ大きな恐怖心を抱かせたと見るべきだろう。少年ダビデが兄弟に食べ物を届けているとき、ダビデはこの危険な巨人戦士の男ゴリアテが神とサウル王の軍隊を侮辱しているのを見た。サウル王の軍隊は、あまりにも怖くて、ゴリアテと戦おうとはしませんでした。ダビデはゴリアテがイスラエルの神、ヤハウェに逆らうのを聞いて、ゴリアテと戦う勇気が湧いてきました。ダビデはまた、イスラエルの民が神の敵に対してあまりにも怖くて戦えないことに憤慨していました。ダビデはサウル王のもとへ行き、ゴリアテと戦うことを約束しました。しかし、サウル王もダビデの命を案じていました。ダビデは訓練された戦士ではなく、また非常に男性的でもなかったからです。彼は訓練を受けていないただの若者だったのです。それに対して、ゴリアテは非常に男性的で強く、長年の軍隊の経験を持っていた。サウル王からすれば、敵を倒すには軍事的な経験を積んだ男でなければならず、世俗的な手段で動機づけされる。サウル王は、自分のために戦ってくれる男には、金と女と税金からの解放を約束した。サウル王は、それらを無邪気に報酬として提供したのではなく、ペリシテ人も使うことで知られていた操り方の一種として提供したのです。基本的に、それらの報酬の約束は、イスラエルの中でサウル王の名声を高め、同時にダビデのような王位継承のライバルとなりうる人物の名声を低下させるための一種の工作であった。しかし、神とイスラエルの危険な敵を打ち負かす卑しい者は、そのような人為的な報酬を約束される必要はなく、ヤハウェの栄光に対する熱意と契約上の約束への信頼によって動かされるのです。ダビデは神の敵を軽蔑するために、ゴリアテの名前を使わず、単なるペリシテ人の一人と呼び、ダビデは神が倒すと知っている神の敵の一人としました。神の契約の約束を信頼することによって、音楽家の羊飼いの少年は、ヤハウェに立ち向かう最も危険な人物をヤハウェが打ち砕かれることを知っていました。

この世の道に従っている人々は、ゴリアテのすべてを恐怖を与えるべきものとして見るでしょう。また、サウル王は大きな報酬を与えてくれたので、忠誠を尽くすに値する寛大な人だと見るでしょう。しかし、聖霊が神の契約の民を抑圧する者を倒すために導いているダビデは、全く違った考えを持っていました。ダビデはゴリアテを強大な存在としてではなく、神を強大な存在として見ていたのです。ゴリアテはイスラエルの生ける契約の神ヤハウェに逆らったのですから、彼はゴリアテの脅威を不条理と考えました。今日、私たちは、神の民を抑圧し、脅かす者を同じように見なければなりません。神が主権者であり、生きておられ、その契約の約束に忠実であることを信じない者は、ダビデの臆病な兄弟がしたように(サムエル記上17:28)、私たちを叱り、無責任、高慢、悪と呼ぶのです。クリスチャンとして、私たちはダビデが霊的に盲目の兄弟たちから受けたのと同じ仕打ちを受けることを期待すべきです。また、イエスがイスラエルの霊的に盲目の指導者たちから受けたのと同じような扱いを受けることを期待しなければなりません。イエスに従う私たちは、イエスが私たちの師であることより偉大ではないので、私たちはイエスより劣っているので、イエスと同じような扱いを期待すべきであるとイエスは言われました。イエスは、キリストのようであるために他人からそのような迫害を受ける人々に祝福を与えるとさえ約束されました(マタイ5:11-12)。

人々は、キリストに仕えているあなたについて、中傷し、噂話をし、嘘をつくでしょう。クリスチャンはトラブルメーカーでも、容赦のない人でも、泥棒でも、権威に反抗する人でもありません。これらは、聖書のキリストを憎む人々が言う多くの誹謗中傷のうちのほんの一部に過ぎません。イエス様は、クリスチャンは不義のために迫害されるのではなく、キリストが正しいから迫害されるのだと言われました。基本的に、聖書のキリストを憎む人々はもうキリストを攻撃できないので、その代わりにキリストを信仰している人々を攻撃します(黙示録12:5,13)。しかしイエスは、人々が迫害していることをクリスチャンに謝りません。その代わりにイエスは、私たちの報酬は天国で大きいので、それを喜び、喜ぶようにと命じています(マタイ5:12)。迫害され、中傷されても、天国での報いが大きいとどうしてわかるのでしょうか?イエス様の理由は、旧約聖書の預言者たちも迫害され中傷されたからです。キリストの栄光のために中傷される人は、旧約聖書の預言者たちのような良い仲間なのです。今度、あなたがイエスと使徒たちが言ったことを信じて人に教えたために中傷されたら、そのことを思い出してください。旧約聖書の預言者たちのように中傷されても、天国で大きな報いを受けることが、イエスが信仰を持つ者に約束したことなのです。もし誰かがあなたを中傷し続けるなら、あなたは、あなたの報酬は天国で大きいというイエスの約束を再確認できたことを神に感謝することができます。

II. 未来の王は、神の敵を倒すために優れた軍事的手段を必要としなかった(1サム.17:34-40)。

ダビデ は サウル に 言っ た。「 しも べ は、 父 の ため に 羊 の 群れ を 飼っ て き まし た。 獅子 や 熊 が 来 て、 群れ の 羊 を 取っ て 行く と、 しも べ は その後 を 追って 出 て、 それ を 打ち殺し、 その 口 から 羊 を 救い出し ます。 それ が しも べ に 襲いかかる よう な とき は、 その ひ げ を つかみ、 それ を 打っ て 殺し て しまい ます。 しも べ は、 獅子 でも 熊 でも 打ち殺し まし た。 この 無 割礼 の ペリシテ 人 も、 これら の 獣 の 一匹 の よう に なる でしょ う。 生ける 神 の 陣 を そしっ た の です から。」 そして、 ダビデ は 言っ た。「 獅子 や 熊 の 爪 から しも べ を 救い出し て くださっ た 主 は、 この ペリシテ 人 の 手 からも 私 を 救い出し て ください ます。」 サウル は ダビデ に 言っ た。「 行き なさい。 主 が おまえ とともに い て くださる よう に。」 サウル は ダビデ に 自分 の よろいかぶと を 着け させ た。 頭 に 青銅 のか ぶと を かぶら せ て、 それから 身 に よろい を 着け させ た ので ある。 ダビデ は、 その よろい の 上 に サウル の 剣 を 帯び た。 慣れ て い なかっ た ので、 ためし に 歩い て み た。 ダビデ は サウル に 言っ た。「 これら の もの を 着け ては、 歩く こと も でき ませ ん。 慣れ て い ませ ん から。」 ダビデ は それ を 脱い だ。 そして 自分 の 杖 を 手 に 取り、 川 から 五つ の 滑らか な 石 を 選ん で、 それ を 羊 飼い の 使う 袋、 投石 袋 に 入れ、 石 投げ を 手 に し、 その ペリシテ 人 に 近づい て 行っ た。

神様は以前、ダビデが羊飼いをしていた時に、野生動物から守ってくださいました。重要なのはダビデの強さではありません。その代わりに、ダビデは野生動物に対する過去の勝利はすべて、約束を忠実に守るイスラエルの神、ヤハウェのおかげであるとしました。ヤハウェがダビデに野生動物に対する勝利を与えたので、ダビデは同胞と比較して、より神のイメージに近づいていると理解することができるのです。ダビデは、神が過去に自分を解放するために忠実であったので、神はペリシテ人から自分を解放するためにも忠実であることを知っていたのです。サウル王は戦いに備えてダビデに鎧を着せましたが、ダビデはそれまで鎧を使ったことがなく、自分には制約が多すぎたので、ダビデは鎧を脱ぎました。ダビデは小川から石をいくつか選び、単なるスリングを手に持ってゴリアテとの戦いに臨んだのである。当時、スリングはまだ軍隊の攻撃用武器として使われていましたが(Judg 20:16; 1 Sam 25:29; 1 Chr 12:2 and 2 Chr 26:14 も参照)、スリンガーは金属のヘルメットと鎖帷子の鎧のコートを着ていました。スリングは戦士の頭上で回転させ、片方の端が突然放たれました。しかし、ペリシテ軍は異なる武器技術を使用していた。ペリシテ軍は槍や剣を使用したのだが、槍や剣の方がはるかに殺傷力が高く、しかも近距離で使用しなければならなかった。スリングは、ペリシテ人の剣や槍の殺傷能力に比べれば、劣る武器技術と考えられており、ダビデは防御用の武器を全く持っていなかった。軍事的な経験則から言えば、ダビデがゴリアテとの戦いで生き残る可能性は非常に低かった。しかし、神の霊がダビデの上にあったため、ダビデは神に逆らう戦士に神が勝利されることを知っていたのです。サウル王が王の鎧をダビデに着せたとき、サウル王が霊的に盲目であったことが再び証明されました。サウル王は、神が剣や槍や鎧のような軍事的優位性を活用する必要がないことが分からなかっただけです。サウル王はペリシテ人が使っていたのと同じ手段で状況を操作しようとし続けましたが、その必要はありませんでした。神は天上におられ、ご自分のしたいことをされるのです。神だけが主権者です。誰もその計画を阻止することはできないのです。神は、契約の民が神の契約の約束を信頼し、神の契約の律法に従うなら、約束の地を与え、神の敵に勝利すると約束されたのであって、周りの国々と比べて優れた武器技術を持っているならば、その必要はないのです。

これらの概念は、イエスとその使徒たちの教えを通して、新約聖書に引き継がれている。使徒パウロは、私たちの焦点は霊的戦いになければならず、私たちの糧としてキリストに頼らなければならないと教えています(2コリント10:4)。なぜなら、キリストだけが、十字架上の贖いの死と3日後の死からの復活という完全な従順を通して、罪と死との戦いに勝利されたからです。私たちの戦いの武器は肉体的なものではなく、霊的なものです。私たちの霊的な武器は攻撃的なものではなく、悪魔の策略に対抗できるように防御的なものです(エペソ6:10-18)。私たちの霊的な防御の武器は、真理、義、信仰、福音、救い、そして神の言葉であり、物理的な武器や防具ではありません。

霊的な戦いに、この世の方法で勝とうとしてはいけません。真理と光の言葉を用いて、キリストに反対する人たちの誤りを暴かなければなりません。教会が行う霊的な戦いは、そのようなものです。私たちは、真理を使って、人の考えをキリストに服従させるのです。罪人は神や他人に対する罪から立ち直り、不信仰者はキリストを信じ、不従順な者はキリストに従わなければならないのです。私たちが他の人に助言を与えるときは、その目的のために助言することです。私たちの友人が助言を求めるとき、私たちはその目的のために助言するのです。教会員が苦悩しているときに、私たちは彼らを愛し、彼らの状況を理解し、真実を話し、神が彼らの罪に勝利を与えるまで、神が私たちに命じられた霊的手段を使って彼らと共に霊的に戦わなければなりません。すべての思考と行動は、キリストに従わなければなりません。

 

Intro: The story of David and Goliath is a well-known Bible story about a young hero named David who defeats a giant warrior named Goliath. This story follows the pattern of a typical battle story, with scenes like armies gathering on a mountain, the hero putting on his armor, and the hero being challenged to a fight by the enemy. Immediately before the battle, there’s even a special taunt between the two warriors. In the end, David wins the fight and celebrates his victory by shouting and taking Goliath’s head as a fear-inspiring trophy. But the most important part of this story is not about David being a great warrior, it’s about how God helped David defeat Goliath and saved his covenant people from His enemies. The story also shows how the historical details of how David trusted in God’s covenant promises, and thus he was a better leader than King Saul.

1. The future King did not need military might, manipulation, or fame to defeat God’s enemies (1 Sam. 17:16-17,22-24,28-33)

Reread Verse: 16 For forty days the Philistine came forward and took his stand, morning and evening. 17 And Jesse said to David his son, “Take for your brothers an ephah of this parched grain, and these ten loaves, and carry them quickly to the camp to your brothers[. . . .] 22 And David left the things in charge of the keeper of the baggage and ran to the ranks and went and greeted his brothers. 23 As he talked with them, behold, the champion, the Philistine of Gath, Goliath by name, came up out of the ranks of the Philistines and spoke the same words as before. And David heard him. 24 All the men of Israel, when they saw the man, fled from him and were much afraid[. . . .] 28 Now Eliab his eldest brother heard when he spoke to the men. And Eliab’s anger was kindled against David, and he said, “Why have you come down? And with whom have you left those few sheep in the wilderness? I know your presumption and the evil of your heart, for you have come down to see the battle.” 29 And David said, “What have I done now? Was it not but a word?” 30 And he turned away from him toward another, and spoke bin the same way, and the people answered him again as before. 31 When the words that David spoke were heard, they repeated them before Saul, and he sent for him. 32 And David said to Saul, “Let no man’s heart fail because of him. Your servant will go and fight with this Philistine.” 33 And Saul said to David, “You are not able to go against this Philistine to fight with him, for you are but a youth, and he has been a man of war from his youth.”

Contextual meaning: David’s three older brothers were fighting in King Saul’s army. Their dad, Jesse, told David to take care of his brothers by bringing them some food. This is meant to remind us of the story of Joseph in the book of Genesis. Joseph’s father Jacob trusted him to take food to his brothers (Genesis 37:2-3, 12-14). To everyone else, David appeared as just an unskilled teenager, a boy who cared for farm animals part time, who played music for the king part time, and was sent to deliver meager food and check on the wellbeing of his brothers. An ephah of roasted grain and loaves of bread were the food for simple and insignificant people. The number 40 in the near eastern context was a number for danger (Gen 8:6; Judges 13:1). Goliath taunted King Saul’s army for forty days. We are meant to see that David and his family seemed insignificant, but Goliath was dangerous and inspired great fear even in the King’s army. While the boy David was delivering food to his brothers, David saw this dangerous giant warrior man Goliath insulting God and King Saul’s army. King Saul’s army of men was far too scared to fight the Goliath. When David heard Goliath defy Israel’s God, Yahweh, David became emboldened to fight Goliath. David was also upset that the Israelites were too scared to fight against God’s enemy. David went to King Saul to commit to fight Goliath. But even King Saul was scared for David’s life, because David was not a trained warrior, nor was he very masculine. He was a mere untrained youth. In contrast, Goliath was very masculine and strong, and had many years of experience in the military. From King Saul’s perspective, it would take a man with military experience to defeat the enemy, motivated by worldly means. King Saul promised money, a woman, and freedom from taxes to the man who would fight for him. King Saul didn’t offer those things as innocent rewards, but as a form of manipulation that the Philistines were also known for using. Basically, the promise of those rewards was a form of manipulation meant to secure an increase in the fame of King Saul among Israel and at the same time lessen the fame of any potential rivals to the throne, such as David. However, the lowly one who would defeat God’s and Israel’s dangerous enemy would not need to be manipulated and to be promised such rewards of men, but instead would be motivated by simple zeal for Yahweh’s glory and a trust in his covenant promises. To show disdain for God’s enemy, David refused to use Goliath’s name and instead referred to him as merely another Philistine, one of God’s enemies whom David knew God would defeat. By trusting in God’s covenant promises, the musician shepherd boy knew that Yahweh would crush the most dangerous of men that would take his stand against Yahweh.

Point to Christ: Those who according to the way of the world would see everything about Goliath as something that should instill fear. They would also see King Saul as a generous person worthy of giving loyalty to for offering such great rewards. However, David, upon whom the Holy Spirit was leading to defeat those who oppressed God’s covenant people, thought of the situation entirely differently. David did not see Goliath as mighty but saw God as mighty. He considered the threats of Goliath to be absurd since Goliath defied Yahweh, the living covenant God of Israel. Today, we must see those that oppress and threaten God’s people in the same way. Those that refuse to believe that God is sovereign, alive, and faithful to his covenant promises will rebuke us, call us irresponsible, proud, and evil, just like David’s cowardly brothers did (1 Samuel 17:28). As Christians, we should expect no less of a treatment than David received from his spiritually blind brothers, and we should expect no less of a treatment than Jesus received from the spiritually blind leaders of Israel. Jesus said that we as his followers are not greater than He is as our Master, so we should expect the same kind of treatment as him since we are lesser than Him. Jesus even promised a blessing upon those who suffer such persecution from others for being like Christ (Matthew 5:11-12).

Practical Application: People will slander, gossip, and lie about you for serving Christ. Christians are not troublemakers, nor unforgiving, nor thieves, nor are we rebellious against authority. Those are just a few slanders among many other slanders that people who hate the biblical Christ will say. Jesus said Christians are not persecuted for unrighteousness, but rather, because Christ is righteous. Basically, because those who hate the biblical Christ cannot attack Christ anymore, they instead attack those who have faith in Him (Revelation 12:5,13). But Jesus doesn’t apologize to Christians for people persecuting them. Instead, Jesus commands us to be joyful and glad about it because our reward is great in Heaven (Matthew 5:12). How do we know our reward in Heaven is great when we are persecuted and slandered? Jesus’s reason is that the Old Testament prophets were also persecuted and slandered. Those who are slandered for the glory of Christ are among good company such as the Old Testament prophets. Remember that the next time you are slandered for believing and teaching others what Jesus and his Apostles said. Being slandered like the Old Testament prophets were unto a great reward in Heaven is what Jesus promised for those that have faith in Him. If someone continues to slander you, you can thank God for being reassured of Jesus’s promise that your reward is great in Heaven.

2. The future King did not need superior military means to defeat God’s enemies (1 Sam. 17:34-40)

Reread Verse: 34 But David said to Saul, “Your servant used to keep sheep for his father. And when there came a lion, or a bear, and took a lamb from the flock, 35 I went after him and struck him and delivered it out of his mouth. And if he arose against me, I caught him by his beard and struck him and killed him. 36 Your servant has struck down both lions and bears, and this uncircumcised Philistine shall be like one of them, for he has defied the armies of the living God.” 37 And David said, “The Lord who delivered me from the paw of the lion and from the paw of the bear will deliver me from the hand of this Philistine.” And Saul said to David, “Go, and the Lord be with you!” 38 Then Saul clothed David with his armor. He put a helmet of bronze on his head and clothed him with a coat of mail, 39 and David strapped his sword over his armor. And he tried in vain to go, for he had not tested them. Then David said to Saul, “I cannot go with these, for I have not tested them.” So David put them off. 40 Then he took his staff in his hand and chose five smooth stones from the brook and put them in his shepherd’s pouch. His sling was in his hand, and he approached the Philistine.

Contextual meaning: God had defended David from wild animals previously during his time as a shepherd. It wasn’t David strength that mattered. Instead, David attributed all of his past victories against wild animals to Yahweh, the God of Israel who is faithful to keep his promises. Because Yahweh had given David victory over the wild animals, we are meant to understand that David was bearing God’s image more correctly than his countrymen. David knew that because God had been faithful to deliver him in the past, God would be faithful to deliver him from the Philistine as well. King Saul put his armor onto David in preparation for the battle, but David had never used armor before and it was too restrictive for him, so David took off the armor. David selected some stones from the stream and brought a mere sling with him in his hand as he went to battle against Goliath. At that time in history, the sling was still used by armies as an offensive weapon (Judg 20:16; cf. also 1 Sam 25:29; 1 Chr 12:2 and 2 Chr 26:14), but the slinger wore metal helmets and coats of chainmail armor. The sling was spun over the head of the warrior until one end was suddenly released. However, the Philistine army utilized different weapons technologies. The Philistines used Javelin spears and swords instead, as they were far more lethal in battle, but they had to be used at a closer range. The sling was considered an inferior weapons technology when compared to the lethality of the sword and spear of the warrior Philistine, and David had no defensive weapons at all. From a military experience perspective, it was very unlikely that David would survive the battle with Goliath. However, because the Spirit of God was upon David, David knew that God would be victorious over the warrior who defied God. When King Saul put his kingly armor on David, it once again proved that King Saul was spiritually blind. King Saul simply could not see that God did not need to leverage a military advantage such as a sword or a spear or armor. King Saul kept trying to manipulate the situation using the same means that the Philistines were using, but there was no need to. God is in the Heavens and will do whatever he wants to do. He alone is sovereign. No one can thwart his plans. God had promised to give his covenant people the promised land and victory over God’s enemies if they would trust in God’s covenant promises and obey his covenant law, not if they had weapons technology that was superior when compared with the other nations around them.

Point to Christ: These concepts are brought forward into the New Testament through the teachings of Jesus and his Apostles. The Apostle Paul taught that our focus must be on spiritual warfare, and we must rely upon Christ as our sustenance (2 Corinthians 10:4), for he alone has won the battle against sin and death through his perfect obedience unto his atoning death on the cross and resurrection from death three days later. The weapons of our warfare are not physical, but spiritual. Our spiritual weapons are not offensive, but defensive in nature, so that we can stand against the devil’s schemes (Ephesians 6:10-18). Our spiritually defensive weapons are the truth, righteousness, faith, the gospel, salvation, and the word of God, not physical weapons or armor.

Practical Application: We must not attempt to win spiritual battles through worldly methods. We must use words of truth and light that expose the errors of those who oppose Christ. That is the kind of spiritual battle that the church wages. We are to use the truth to take men’s thoughts captive unto Christ. The sinner must turn from his sin against God and others, the unbeliever must believe Christ, and the disobedient must obey Christ. When we give counsel to other people, we are to counsel them to that end. When our friends ask for advice, we are to advise them to that end. When the church member comes to us with struggles, we are to love them, understand their situation, speak the truth, and spiritually fight the battle alongside them using the spiritual means God has commanded us until God gives them the victory over their sin. Every thought and action must come under submission to Christ.

3. The future King was given flawless victory over God’s enemies and used his own weapon against him (1 Sam. 17:45-51)

Reread Verse: 45 Then David said to the Philistine, “You come to me with a sword and with a spear and with a javelin, but I come to you in the name of the Lord of hosts, the God of the armies of Israel, whom you have defied. 46 This day the Lord will deliver you into my hand, and I will strike you down and cut off your head. And I will give the dead bodies of the host of the Philistines this day to the birds of the air and to the wild beasts of the earth, that all the earth may know that there is a God in Israel, 47 and that all this assembly may know that the Lord saves not with sword and spear. For the battle is the Lord’s, and he will give you into our hand.” 48 When the Philistine arose and came and drew near to meet David, David ran quickly toward the battle line to meet the Philistine. 49 And David put his hand in his bag and took out a stone and slung it and struck the Philistine on his forehead. The stone sank into his forehead, and he fell on his face to the ground. 50 So David prevailed over the Philistine with a sling and with a stone, and struck the Philistine and killed him. There was no sword in the hand of David. 51 Then David ran and stood over the Philistine and took his sword and drew it out of its sheath and killed him and cut off his head with it. When the Philistines saw that their champion was dead, they fled.

Contextual meaning: Goliath publicly despised David and cursed him. However, David publicly expressed his confident trust that God was sovereign over the battle and that God would display his glory to the nations through Goliath’s defeat. The description of the battle is very short. David rushes forward and slings a single stone into Goliath’s forehead and then uses Goliath’s own sword to cut off his head. God’s enemies saw that Yahweh had given Israel a flawless victory despite the Israelites having no visible advantage, and then their own military advantage was used to permanently disarm and defeat Goliath. The young and insignificant boy defeating Goliath in Yahweh’s name immediately brought great terror to the Philistines, and greatly inspired God’s covenant people to likewise go forward and conquer the enemy in Yahweh’s name.

Point to Christ: Christians should not read this story and think that we identify with David. Instead, we are supposed to identify with King Saul’s cowardly army who needed saving. David functioned as a representative champion for a weak and defeated people, like Jesus has done for us. David won the victory and the results of that victory were transferred to God’s covenant people, which is exactly what Jesus did for us by his death on the cross. David’s flawless victory and disarming and defeating of God’s enemy foreshadowed a greater King, Jesus, who would have perfect victory and disarm and defeat our enemies of Satan, sin, and death, without having any visible advantage. Jesus was born into a poor family of poor means, did not have military might or anything else that would make him visibly stand out as kingly material. But by Christ’s own perfect obedience to God’s old covenant law unto his death to atone for our sins, Christ defeated Satan with a flawless victory, crushing him in defeat by using Satan’s own weapon, his threat of death, against him. By Christ’s resurrection from death, Satan’s threat of death and destruction have been rendered permanently ineffective against all who have faith in Christ. Just as the people of Israel shared in David’s victory and were greatly encouraged to go forth and conquer the Philistines, so also Christians share in Christ’s victory over sin and death and are commanded to consider sin in our lives as crucified with Christ, and to go forward in the power of Christ’s resurrection by walking in newness of life, in obedience to the commands of Christ and his Apostles.

Closing Prayer: Heavenly Father, we come to you today with thankfulness in our hearts. We thank you for the story of David and Goliath, which reminds us of your power and faithfulness to your covenant people. We pray that, like David and Christ, as weak people who were cowering in fear of the threat of death, that we would trust in Christ’s victory, Christ’s demonstrated authority over all things in Heaven and Earth, and that we would trust in Christ’s promise to always be with us. Help us to see the threats and taunts of God’s enemies as absurd, just as David saw the threats of Goliath as absurd. Thank you that Jesus was steadfast in relying upon you and the Holy Spirit and was perfectly obedient even unto his death on the cross. Thank you that you have given us into his hand, and that by your grace you have secured for us the strength to remain steadfast in our faith, even when others may publicly slander us by calling us irresponsible, proud, or evil. Thank you for your protection and sovereign guidance, to cause your people to persevere in our faith in Christ. We ask for the grace to find joy in receiving the same treatment that David and Jesus received from the spiritually blind leaders of their time. May we find comfort in the promise of a blessing upon those who suffer such persecution for being like Christ. Thank you for imputing the victories of Christ to us by your Spirit uniting us to Christ. Help us to quickly go forth and walk in the power of your resurrection in newness of life. Help us to obey Christ.

In Jesus’s name we pray, Amen.

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