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先週、私たちはゼカリヤ書から、エルサレムを再建するようイスラエル人を励ました神の国の到来という約束について読んだ。そして、神の国はイスラエル人の従順によって最終的に成就するのではなく、神の国を始めた唯一の従順なイスラエル人の王であり、再臨の時に神の国を完成させるキリストにおいて最終的に成就するということを読んだ。とはいえ、預言者たちの説教は、バビロンへの追放から帰還したイスラエルの民に、バビロンがエルサレムを征服した数世代前に破壊されたエルサレムの地とエルサレム神殿を再建し続けるよう勧めた。しかし、近くに住んでいた神の敵たちは、神殿を再建している人々を中傷し、アルタクセルクセス王は、神殿の建設を中止するよう建設者たちに命じた。王が建設を中止するように命じたなら、神殿はどのように再建されるのだろうか?
I. 神殿再建が始まったのは、神の名による預言のためであった(エズラ4:24-5:2)
24 こうして、 エルサレム に ある 神 の 宮 の 工事 は 中止 さ れ、 ペルシア の 王 ダレイオス の 治世 の 第二 年 まで 中止 さ れ た まま に なっ た。 5 1 さて、 預言者 ハガイ と イド の 子 ゼカリヤ という 二人 の 預言者 は、 ユダ と エルサレム に いる ユダヤ 人 に対して、 自分 たち の 上 に おら れる イスラエル の 神 の 御名 によって 預言 し た。 2 そこで シェアルティエル の 子 ゼルバベル と、 エホツァダク の 子 ヨシュア は 立ち上がり、 エルサレム に ある 神 の 宮 を 建て 始め た。 神 の 預言者 たち が 一緒 に い て、 彼ら を 助け た。
預言者たちが、政府が止めるように言ったにもかかわらず、神の契約の民に宣教したので、神殿は再建され始めた。しかし、神殿の再建を始めても、すぐには完成しなかった。様々な困難があり、神殿が完成しないのではないかと思われることもあった。イスラエルの民の場合、神殿建設は政府の命令で15年ほど中断されていた。しかし、預言者ハガイとゼカリヤが立ち上がり、言うべきことを言った。ハガイは説教の中で、彼らがパネル張りの家に住んでいるにもかかわらず、神の神殿は廃墟と化しており、すぐに再建する必要があるとして、公然と地域社会に立ち向かった。ゼカリヤは公然と地域社会に立ち向かい、彼らが罪を悔い改め、神の旧約の律法に従うことの祝福を享受する必要があることを告げた。彼らの説教によって、神の民は変わった。以前は政府を恐れていたが、彼らの説教の後、彼らは信仰に満たされ、神の律法に意図的に従おうとした。
この箇所で、私たちは重要な霊的教訓を学ぶ。たとえ私たちが政府から脅かされ、神の言葉にこれ以上従うなと言われても、抵抗しなければならない。時には、預言者たちのように平和的に発言し、もしその法律が神の御言葉に反するものであれば、国の法律に反することを言わなければならない。また、時には政府からそのような反対を受けることを予期しなければならないことを知り、勇気を持たなければならない。しかし、私たちは忍耐強く、神の律法に従うことから逃げないようにしなければならない。
私たちは罪人であり、罪人の中で生きているのだから。しかし、私たちは、政府が神殿の工事を妨げたことがあったとしても、それは永久の敗北ではなかったことを知っている。むしろ、それは単に神の律法の一章であり、より大きな勝利を与えてくださる神に信頼するよう私たちを導くものであった。神殿建設は再開され、最終的には、より偉大な勝利者であるキリストによって、より偉大な勝利が達成された。地上の指導者たちが反対しても、物理的な土地に物理的な神殿を建てようとしたこの闘いは、パウロが語る霊的な闘いの単なる例示に過ぎない。パウロは、私たちは血肉に対して戦うのではなく、支配者たち、権力者たち、この現在の暗闇を支配する宇宙的な力、天の場所にいる悪の霊的な力に対して戦うのだと教えている。パウロはそこで、嘘を用いて私たちを罪に誘い込んだり、罪深い考えを信じさせたりする悪霊について語っているのだ。このように、より大きな物語を考えるなら、イエスご自身が私たちのためにこの戦いを戦うために来られたのである。私たちに代わって勝利してくださった戦いなのだ。キリストは霊的支配者や霊的権威を武装解除し、彼らに勝利された。私たちは、イエスが勝利されたことを知り、イエスが遣わされた聖霊によって神の武具を身に着け、キリスト教信仰に堅く立つことができるように、そのような悪霊に立ち向かうのである。私たちは、神の愛を得るために霊的戦いをするのではなく、神がどんなことがあっても私たちを愛してくださると約束してくださったからこそ、誤った考えや教えに対して霊的戦いをするのだ。
II. 神殿の再建は、神と王の命令によって完成した(エズラ6:13-15)。
13 ダレイオス 王 が こう 書き送っ た ので、 ユーフラテス 川 西方 の 総督 タテ ナイ と、 シェタル・ボゼナイ と、 その 同僚 たち は、 間違い なく これ を 行っ た。 14 ユダヤ 人 の 長老 たち は、 預言者 ハガイ と イド の 子 ゼカリヤ の 預言 を 通し、 建築 を 行っ て 成功 し た。 彼ら は イスラエル の 神 の 命令 により、 また キュロス と ダレイオス と、 ペルシア の 王 アル タクセルクセス の 命令 によって、 建築 を 終え た。 15 こうして、 この 宮 は ダレイオス 王 の 治世 の 第六 年、 アダル の 月 の 三日 に 完成 し た。
ダレイオス王は王室の文書館を調べ、彼の前の王であるキュロス王が、ユダヤ人が神殿を再建できるという命令を下したことを発見した。そしてダレイオス王は、ユダヤ人が神殿を再建し続けることを許可し、神殿建設に資金を提供するよう政府に命じた。しかし、神殿再建の動機は政府によるものではなかった。神殿再建の動機は、預言者ハガイとゼカリヤによって宣言された神の言葉にあった。しかし、神殿が建て終わったとき、それは単にキュロス王とダレイオス王の命令によるものではなく、神の命令によるものでもあった。神の契約の民を神殿再建に駆り立てた霊的な側面がある。神殿再建をもたらしたのは説教であった。そして、それは神の命令であり、神が契約の約束を忠実に守ることを私たちに示した。神は困難な時代にあっても忠実であり、契約の約束を部分的に成就させるために、古代世界の偉大な王たちをも用いられた。
III. 完成は、喜びをもたらす神へのいけにえによって祝われた(エズラ6:16-22)。
16 イスラエル の 子 ら、 すなわち、 祭司、 レビ 人、 その ほか の 捕 囚 から 帰っ て 来 た 人 たち は、 喜び を もっ て この 神 の 宮 の 奉献 式 を 祝っ た。 17 彼ら は この 神 の 宮 の 奉献 式 の ため に、 雄牛 百 頭、 雄 羊 二 百 匹、 子羊 四 百 匹 を 献 げた。 また、 イスラエル の 部族 の 数 に したがっ て、 全 イスラエル の ため に 罪 の きよめ の ささげ 物 として、 雄 やぎ 十 二 匹 を 献 げた。 18 また 彼ら は、 エルサレム での 神 への 026 奉仕 の ため、 祭司 を その 区分 に したがっ て、 レビ 人 を その 組 に したがっ て それぞれ 任命 し た。 モー セ の 書 に 記さ れ て いる とおり で ある。 19 捕 囚 から 帰っ て 来 た 人々 は、 第一 の 月 の 十 四日 に 過 越 を 祝っ た。 20 祭司 と レビ 人 たち は 一人 残ら ず 身 を きよめ て、 みな きよく なっ て い た ので、 捕 囚 から 帰っ て 来 た すべて の 人々 の ため、 彼ら の 同胞 の 祭司 たち の ため、 また 彼ら 自身 の ため に、 過 越 の いけ に え を 屠っ た。 21 捕 囚 から 戻っ て 来 た イスラエル 人 は これ を 食べ た。 イスラエル の 神、 主 を 求め て、 その 地 の 異邦 の 民 の 汚れ から 離れ て 彼ら に 加わっ た 者 たち も みな そう し た。 22 そして 彼ら は 七 日間、 喜び を もっ て 種 なし パン の 祭り を 守っ た。 これ は、 主 が 彼ら を 喜ば せ、 また アッ シリア の 王 の 心 を 彼ら に 向け て、 イスラエル の 神 で ある 神 の 宮 の 工事 にあたって、 彼ら を 力づける よう にさ れ た からで ある。
破壊されてから70年後に神殿が再建された時、神殿は奉献され、旧約聖書の律法の要求に従って犠牲の制度が再開された。ソロモンが最初に神殿を建てた時よりも、犠牲はずっと少なくなっていた。例えば、生け贄に捧げる動物の数ははるかに少なかった。しかし、旧約聖書の律法を守って祭日を守った。私たちは、ソロモン王の時代に行われた宗教活動と、神殿再建後に行われた宗教活動には連続性があることを意味する。なぜなら、ヘブライ人が古代に礼拝していた神は、バビロンへの追放から帰還した後も礼拝していた神と同じだからである。人々が聖書の教えに従って神の神聖な臨在の中で神を礼拝するとき、それは彼らに大きな喜びをもたらした。過越の祭りは、イスラエルという国の始まりを示すものだった。最初の過越祭以前は、イスラエルにとって大きな脅威はエジプトの国だった。しかし、最初の過越祭では、イスラエルにとっての大きな脅威は神の聖なる怒りだった。選ばれた子羊が屠られ、食べられた。屠られた子羊は、神の契約の民に安全をもたらすために捧げられた身代わりの犠牲の象徴だった。もともとは家の父親が生け贄を捧げていたが、今日の物語の頃には祭司たちが子羊を生け贄に捧げた。過越の祭りは、すべての祭りの中で最も重要なものだった。すべての男子は出頭を求められた。レビ人の祭司たちは、子羊の血を鉢で受け止めた。その鉢は祭司から祭司へと渡され、祭壇の一番近くに立っている祭司に渡された。祭壇の前の祭司は、その血を祭壇の土台に投げつけた。これは詩篇113篇から118篇を歌っている間に行われた。動物の屠殺が終わると、その肉は男たちと一緒に家に送られた。子供たちはなぜこんなことが起こるのかと尋ね、父親たちは子供たちに出エジプトの物語を朗読した。結局のところ、過越の祭りは、イエスがその生涯と死において成し遂げることを指し示すシンボルだったのだ。イエスは死に至るまで父なる神の律法に従い、神の契約の民の罪を一度、そして永遠に贖うための身代わりのいけにえとしてご自身を捧げられた。21節では、ヤハウェを信じる信仰があれば、ユダヤ人でないあらゆる国の人々が過越の祭りを共に祝う食卓に迎えられたことも記されている。
今日、イエスは私たちの過越の小羊である。イエスは、私たちが犯した罪のために受けるべき神の怒りを取り除くために死なれた。私たちの身代わりの犠牲としてイエスを信じる信仰によって、あらゆる国の人々がキリストに結ばれ、イエスの犠牲によって神との関係が和解したのである。神の完成された御業のゆえに、再び神を礼拝し始めた帰還した亡命者のように、私たちもまた、キリストの完成された御業のゆえに、喜びをもって神の戒めに従うことによって神を礼拝することができるのである。
奉献された神殿には、神を礼拝する神の契約の民の共同体のすべての要素がある。聖書が第一に重要であり、礼拝は聖書に従って行われた。他国の人々も主を信じる信仰によって、彼らと共に礼拝することを歓迎された。いけにえは、私たちに代わって主イエス・キリストが捧げる完全ないけにえを予期していた。最近、教会では過越の祭りを同じ条件で祝うことはない。神の怒りを退ける、より優れたいけにえがあるからだ。過越の祭りの間、イエスは主の晩餐を制定し、それを守るように弟子たちに教えた。私たちは、イエスの砕かれた体と流された血を象徴するパンとパンにあずかることによって、イエスが神の怒りを吸収されるのを観察する。イエスは、その砕かれた体と流された血によって、私たちの罪のために当然受けるべき神の聖なる怒りを、私たちのために吸収してくださったのである。旧約聖書の人々と私たちの信仰には連続性があるが、相違点もある。それにもかかわらず、あらゆる国々から神のもとに引き寄せられた神の契約の民の連続性を見ることは、大きな励ましである。今日、教会は聖書に従って礼拝を捧げ、イエス・キリストの血によって新しい契約を結ばれたキリストを思い起こしながら、主の晩餐に与り、イエス・キリストを喜びをもって宣べ伝えている。
今日の物語では、イスラエルの民が帰還後に神殿再建の困難に直面したが、預言者たちの励ましと神の命令によって、反聖書の命令に抵抗し、忍耐強く神の命令に従い続けることができたことを見た。神殿の完成は地上の王のおかげとされたが、最終的には神の命令によるものであり、神がその契約に忠実であることを示している。神の神殿の完成を祝うのは過越の祭りであり、それは究極の過越の子羊としてのイエスにつながる。イエスは、罪を贖うためにイエスの死を信じるあらゆる国の人々から神の怒りを退けるために死なれた。今日、私たちは、キリストの完成された御業のゆえに、喜びと従順をもって神を礼拝しなければならない。祈ろう。
天の父なる神様、みことばからの教えに感謝します。イエスの完成された御業のゆえに、私たちがあなたの真理に反対することに抵抗し、困難を経験しても忍耐することができるように助けてください。キリストの死と復活を祝い、キリストを通してあなたを礼拝することに喜びと従順を見出すことができるようにしてください。勇気と信仰をもって、あなたの御言葉に従順に生きることができるように助けてください。イエスの御名によって祈ります、アーメン。
Last week we read from the book of Zechariah about the promise of God’s coming kingdom which encouraged the Israelites to rebuild Jerusalem, and how God’s kingdom was not ultimately fulfilled by the obedience of the Israelites but is ultimately fulfilled in Christ the only obedient Israelite King who has started God’s kingdom and will complete God’s kingdom at his second coming. Nevertheless, the preaching of the prophets encouraged the Israelites that had returned from exile in Babylon to continue to rebuild the land of Jerusalem and the Jerusalem temple which had been destroyed generations earlier when Babylon conquered Jerusalem. However, the enemies of God living nearby slandered the people that were rebuilding the temple, and King Artaxerxes ordered the builders to stop the construction of the temple. The question is, how would the temple be rebuilt if the King ordered the people to stop building?
I. The rebuilding of the temple started because of prophecy in God’s name (Ezra 4:24-5:2)
Then the work on the house of God that is in Jerusalem stopped, and it ceased until the second year of the reign of Darius king of Persia. 5:1 Now the prophets, Haggai and Zechariah the son of Iddo, prophesied to the Jews who were in Judah and Jerusalem, in the name of the God of Israel who was over them. 2 Then Zerubbabel the son of Shealtiel and Jeshua the son of Jozadak arose and began to rebuild the house of God that is in Jerusalem, and the prophets of God were with them, supporting them.
Because the prophets preached to God’s covenant people even though the government told them to stop, the temple started to be rebuilt. But when they started rebuilding the temple, it wasn’t finished immediately. They went through various difficulties and sometimes it seems as if the temple wouldn’t be completed. In the Israelites’ situation, the temple construction had been put on hold for about 15 years because of government decree. But the prophets Haggai and Zechariah stood up and said what needed to be said. Haggai openly confronted the community in his preaching because they lived in paneled houses and yet God’s temple was in ruins and needed to be rebuilt immediately. Zechariah openly confronted the community and told them they needed to repent of their sins and enjoy the blessings of obeying God’s old covenant law, including the benefits of living in the kingdom of God. Through their preaching, it changed the people of God. Before they were afraid of the government, but after their preaching they become filled with faith, and sought out to be intentionally obedient to God’s law.
In this passage we learn an important spiritual lesson. Even if we are threatened by the government and told not to obey God’s Word any longer, we must resist. At times we must even peacefully speak out like the prophets did and say things contrary to the laws of our country if those laws are in opposition to God’s Word. Also, we should take courage knowing that we should expect such opposition from the government at times, and because of the intervention of government sometimes spiritual growth can seem slow and impeded. However, we must be patient, and not shy away from obeying God’s law.
Ultimately, our obedience to God cannot be perfect, because we are sinners and live among sinners. However, we know that even though at times the government impeded the work on the temple, it was not a permanent defeat. Instead, it was simply a chapter in God’s law, leading us to trust in God who gives the greater victory. The building of the temple did resume, and ultimately a greater victory was achieved through the greater Victor, Christ. This struggle to build a physical temple in a physical land even when earthly leaders opposed them is a mere illustration of the spiritual battle that Paul describes. Paul taught that we do not fight against flesh and blood, but against the rulers, against the authorities, against the cosmic powers over this present darkness, against the spiritual forces of evil in the heavenly places. Paul there is talking about evil spirits that tempt us to sin or believe sinful ideas. Thus, if we consider the larger story, Jesus himself came to fight this battle for us. It is a battle that he won on our behalf. Christ disarmed the spiritual rulers and spiritual authorities, triumphing over them. We are to stand against such evil spirits knowing that Jesus has won, so that by the Holy Spirit, he has sent us we can put on the armor of God and stand firm in the Christian faith. We do not fight a spiritual battle to gain God’s love, but instead we do spiritual battle against false ideas and teachings because he has promised to love us no matter what.
II. The rebuilding of the temple was finished by the decree of God and the King (Ezra 6:13-15)
13 Then, according to the word sent by Darius the king, Tattenai, the governor of the province Beyond the River, Shethar-bozenai, and their associates did with all diligence what Darius the king had ordered. 14 And the elders of the Jews built and prospered through the prophesying of Haggai the prophet and Zechariah the son of Iddo. They finished their building by decree of the God of Israel and by decree of Cyrus and Darius and Artaxerxes king of Persia; 15 and this house was finished on the third day of the month of Adar, in the sixth year of the reign of Darius the king.
King Darius searched through the royal archives and discovered that the King that came before him, King Cyrus, made a decree that the Jews could rebuild the temple. King Darius then commanded the government to allow the Jews to continue to rebuild the temple, and to fund the building of the temple. But the rebuilding of the temple was not motivated by the actions of the government. The rebuilding of the temple continued to be motivated by the Word of God as it was proclaimed by the prophets Haggai and Zechariah. But when the temple was finished being built, it wasn’t merely by the decree of King Cyrus and Darius, but it was also by the decree of God. There are spiritual aspects that motivated God’s covenant people to rebuild the temple. It was the preaching that produced the rebuilding of the temple. And it was God’s decree, showing us that God was faithful to keep his covenant promises. God is faithful even through difficult times, and even wielded great kings of the ancient world to bring partial fulfillment to his covenant promises.
III. The completion was celebrated by sacrifices to God which brought joy (Ezra 6:16-22)
16 And the people of Israel, the priests and the Levites, and the rest of the returned exiles, celebrated the dedication of this house of God with joy. 17 They offered at the dedication of this house of God 100 bulls, 200 rams, 400 lambs, and as a sin offering for all Israel 12 male goats, according to the number of the tribes of Israel. 18 And they set the priests in their divisions and the Levites in their divisions, for the service of God at Jerusalem, as it is written in the Book of Moses. 19 On the fourteenth day of the first month, the returned exiles kept the Passover. 20 For the priests and the Levites had purified themselves together; all of them were clean. So they slaughtered the Passover lamb for all the returned exiles, for their fellow priests, and for themselves. 21 It was eaten by the people of Israel who had returned from exile, and also by every one who had joined them and separated himself from the uncleanness of the peoples of the land to worship the Lord, the God of Israel. 22 And they kept the Feast of Unleavened Bread seven days with joy, for the Lord had made them joyful and had turned the heart of the king of Assyria to them, so that he aided them in the work of the house of God, the God of Israel.
When the temple was rebuilt after seventy years of being destroyed, it was dedicated, and the sacrificial system was restarted according to the requirements of the Old Testament law. The sacrifices were much less than when Solomon first built the temple. For example, they sacrificed far less animals. However, they observed the feasts in keeping with the Old Testament law. We are meant to see that there is continuity between the religious activities that took place in the time of King Solomon, and the religious activities that took place after the rebuilding of the temple. This is because the same God that the Hebrews worshiped in ancient times is the same God they were worshiping after they returned from their exile in Babylon. When the people worshiped God in his sacred presence according to the teachings of the Scriptures, it brought them great joy. The Passover festival marked the beginning of the nation of Israel. Before the first Passover festival, the major threat to Israel was the nation of Egypt. However, during the first Passover festival, the major threat to Israel was the Holy Wrath of God. A chosen lamb was slaughtered and eaten. The slaughtered lamb was a symbol of substitutionary sacrifice made to provide safety to the covenant people of God. Originally the father of the household performed the sacrifice, but by the time of today’s story, the priests sacrificed the lamb. The Passover festival was the most important of all the festivals. All the males were asked to appear. The Levite priests caught the blood of the lamb in a bowl. The bowl was passed from priest to priest until it was passed to the priest standing closest to the altar. The priest before the altar tossed the blood against the base of the altar. This was done during the singing of Psalms 113-118. After the slaughtering of the animal, the meat would be sent back home with the men. The children would ask why this was all happening, and the fathers would recite the exodus story to their children. Ultimately, the Passover festival was a symbol that pointed forward to what Jesus would accomplish in his life and death. Jesus obeyed the law of God the Father even unto his death, offering up himself as a substitute sacrifice to atone for the sins of God’s covenant people once and for all time. In verse 21, we also learn that non-Jewish people from all nations were welcomed to the table to celebrate Passover together, if they had faith in Yahweh.
Today, Jesus is our Passover lamb. He died to exhaust the wrath of God that we deserved for our sins. It is through faith in Jesus as our substitute sacrifice that we from all nations are united to Christ, and his sacrifice has reconciled our relationship with God. Like the returned exiles who began to worship God once again because of the finished work of God, we too can worship God aby obeying his commandments with joy because of the finished work of Christ.
The dedicated temple has all the elements of the community of God’s covenant people worshiping him. The Scriptures had primary importance, and worship happened in accordance with the Scriptures. There were people from other nations that were welcome to worship with them by faith in the Lord. The sacrifices anticipated the perfect sacrifice of the Lord Jesus Christ on our behalf. These days, in the church we do not celebrate Passover on the same terms, because we have a better sacrifice that has turned away the wrath of God. During the Passover feast, Jesus instituted the Lord’s Supper and taught his disciples to observe it. We observe Jesus turning away God’s wrath by partaking of the bread and bread which symbolize Jesus’s broken body and shed blood. By his broken body and shed blood, Jesus has turned the wrath of God away from us by taking the holy wrath of God that we deserve for our sins. Although there is continuity of faith that we have with the people of the Old Testament, there are also some differences. Nonetheless, it is a great encouragement to see the continuity of God’s covenant people, drawn to him from all the nations. Today, the church worships according to the Scriptures, joyfully proclaiming Jesus Christ by partaking of the Lords Supper in remembrance of Him who instituted a new covenant in his blood.
In today’s story, we saw that the Israelites faced challenges in rebuilding the temple after their return, but with the encouragement of the prophets and God’s decree, they were able to resist anti-biblical orders and patiently continue to obey God’s commands. The completion of the temple was attributed to earthly kings, but ultimately was attributed to God’s decree, which shows us that God is faithful to his covenant. The celebration of the completion of God’s temple was celebrate by the Passover festival, which connects to Jesus as the ultimate Passover lamb. He died to turn away God’s wrath from those from all nations who have faith in his death to atone for their sins. Today, we must worship God with joy and obedience because of Christ’s finished work. Let’s pray.
Heavenly Father, thank you for the lessons from your Word. Because of the finished work of Jesus, help us to resist opposition to your truth, and to be patient when experiencing difficulties. Help us to find joy and obedience in worshiping you through Christ, as we celebrate his death and resurrection. Help us to live in obedience to your Word with courage and faith. In Jesus name we pray, Amen.